月夜の霧の中
昨夜は、観光客を連れて荒川高原へ行ってきた。実は、マヨヒガコースは琴畑の林道が大雨の為に通行止めとなっていた為、それじゃ馬や野生動物を見に行きたいとの事で変更になったのもある。遠野駅前周辺から上空を見ると星が輝いていたので、これは綺麗な星空も見えるかと向かったが、荒川高原は霧が発生していた。まあそれじゃあと、いつもの影絵遊び。今回は月の輝く方向に影を向けて、観光客と並んで記念撮影を。雲が流れると、月...
View Article夜の河童淵など
昨夜は、神社と動物に興味があるお客さんを案内して回った。取り敢えず動物という事なので、夜の河童淵へと行って見た。三匹の河童が、この淵を護っているようだ。その河童淵にある大きな石には、河童の歌が刻まれている。しかし、川を渡ってその石に刻まれた河童の歌を確認しに行く者を見た事が無い。...
View Article星の見える雨降る夜
昨夜は、星が見えながらも霧雨の降る夜だった。そんな中、座敷ワラシの考察から観光客を連れて、上郷町の六神石神社へと行ってきた。六神石神社鳥居上空は晴れているが、実際には雨が降っている。狐の嫁入りだろうか? 境内は真っ暗闇で、街灯など皆無。懐中電灯無しでは、参拝もままならない。 空は、雲と星空が混雑している。 本殿を照らし、先に観光客に参拝してもらった。 そして、自分もその後に参拝を。...
View Article台風の爪痕
「遠野物語」において、山神の石碑・石塔がある場所は、山神に遭遇もしくは、山神の祟りの遭った場所として伝えられる。今回、台風が岩手県を直撃。多くの地で、大きな被害に及んだ。遠野は東寄りの地を中心に被害があり、その中でも台風は土淵町に大きな爪痕を残して行ったようだ。その被害の地を見て来て気付いたのは、その地に水神の碑、もしくは大蛇・龍神に関係するものが祀られていた。山神の碑が祟りを為した地に建てられたな...
View Article「闇・遠野物語(子殺し)」
天保年間の事。山口村にある薬師社の別当の家に、11歳になる男の子がいた。毎年打ち続く飢饉で食べる物が無い頃、その子供は他人の家の軒下に積んである豆殻の辺りで、落ちている豆を拾って食べていた。ところが、それが村の問題となり、肝煎が別当の家へ行き、今後一切、男の子を外に出さぬという事に決めたという。だが男の子は夜に度々外に出ては村の家々を廻って歩くので、再び肝煎が別当の家に行った所、別当である父親はこう...
View Article「闇・遠野物語(子殺し 其の二)」
村に"さのせ"という女房がいた。夫は何かで死んで亡くなり、自分と9歳になる娘とだけ残ったが、世が飢饉であるから、どこでも仕事で使ってくれる家もなかった。隣村の某という家に行って奉公を頼み入れると、こう言われた。 「いかにもお前だけならよろしいが、その連れた娘がいてはならぬ。」...
View Article「闇・遠野物語(我が子を喰らう)」
上郷の某部落に、或る日一人の若い女が迷うて来た。その懐には乳飲み子を抱いていて、部落の家々に立ち寄って、 「何か仕事をさせてください。食べ物を一椀めぐんでください。」...
View Article「闇・遠野物語(腹を裂いて)」
ある村に、13歳になる子守り娘がいた。主人の子供をおんぶして歩いているうちに、自分が飢えに堪えかねて、おんぶしている子供をおろして、その腹を切り裂いて殺した。役人に訳を訊ねられると、泣く泣く、こう答えたという。 「主人の子供は毎日いい飯を食っておるから、その飯を食いたさに、そうしました。」 佐々木喜善「遠野奇談」より...
View Article妖怪子泣き爺の写っている古い写真
この画像は、フリー画像から拝借した、水木ロードに建っている子泣き爺の銅像。子泣き爺といえば「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する子泣き爺を思い出すが、その原点は四国にあるようだ。河出書房新社「日本の妖怪百科」には「コナキ爺・粉挽き爺」として解説が載っていた。それをそのまま引用して、紹介してみよう。...
View Article濃霧に襲われた街
昨夜、遠野の街は濃霧に襲われた。人が寝静まった時間帯に、こうして影絵遊びをやってみた。 実際に視界も酷く、車は慎重に走らせるしかない夜だった。 高清水の展望台へ行って見ると、やはり霧が分厚い為、街灯の透過が少ないので、非常に暗く見えた。 余りにも暗いので、手前をライティングして草を入れて見た。...
View Article「闇・遠野物語(お湯を飲め)」
あるところで、少年たちが二人行き会った。一人は年上の子供であったが、他の子供に向ってこう言った。 「お前は今朝ご飯を食べたのか。」 「食べた。」 と一人は答えた。 「そんなら、お湯を飲んだのか?」 「いや、飲まない。」 と答えると、問うた少年は、答えた子供を殺して腹を裂き割って、胃の中にある飯を取って食ったとの事である。 これには、こう云われる。...
View Article「闇・遠野物語(梁の上の亡魂)」
村の久手という所に、某という家がある。この家には12、3歳の男の子がおったが、この前の別当の家の子供の様に、他に出ては盗み食いするので、村方からのかけあいが毎日の様にあった。家の人達もほとほと困って他郷へ追いやったが、もうこれぐらいの年頃になると道の左右も知れているので、いくばくもなくすぐに帰って来る。そこでとうとう思案にくれてしまって、その男の子を大きな穀物ギツ(穀物を貯蔵する大きな箱)に入れて、...
View Article「闇・遠野物語(霰に打たれた死体)」
村の田尻という所に、ただの自然石を二つ立てた無縁の墓がある。これも海辺の方から母娘連れの者が迷って来て、ここで飢え死にした所だという事である。どうしてであったか、母親がまず倒れて息絶えたのに、乳飲み子がまだ生きていて、乳房をしゃぶっては泣き、しゃぶっては泣き、夜明けまでその泣き声が止まなかったそうである。村の人達はその傍らを通るが、さて救いとったとて自分達の食さえ無い始末であるから、その憐れな態を見...
View Article「闇・遠野物語(床下から)」
昔から奥州の一部の国には生児を縊り殺す風習が、なかなか盛んに行われていた。子供の生まれる家ではあらかじめ、今度は置くとか、置かぬとかとの相談があったようである。その起源を老人に問うと、こう答えた。 「大方は天明天保の飢饉辺りから始まった。」...
View Article影
夜霧の晩、それに光が当たる中、橋から見下ろした霧の向こうに、自分から独立したような影がいた。西洋ではドッペルゲンガーという印象も受けそうだが、自分の影が独立している感覚は、魂が抜け出た感覚にも等しいと聞く。また、諸星大二郎「鏡島」に自分と同じ者が鏡に映ったように動いているのは、もしくは影の様に動いているのは"海モッコ"と呼ばれる物の怪であるのだが、似た様な話に「古事記(下つ巻)」に雄略天皇が葛城の一...
View Article上弦の月が沈む時
突然に、ああ今日は上弦の月だった事を思い出した。夜空を見ると、もう山にさしかかって沈む寸前となっていた。慌ててカメラとレンズ、そして三脚を準備して撮影という時にはもう上弦の月は、半分以上山に沈んでいた。これも遠野盆地ならではの、月の沈む時間の早さだった。平野部であったのなら、まだこの上弦の月は夜空に輝いていたのだろう。
View Article害獣駆除(熊)
農家などが熊の被害に遭うと、害獣駆除を申請し許可が下りると画像の様な鉄製の罠が仕掛けられる。昔テレビに遠野の"熊捕りホイホイ"と紹介になった事もある。 林檎の木に、まったく実がなっていない。全て熊に食われたからだった。この様な木がぱっと見た目にも10本以上あった。 この罠に入ったままの熊を猟銃で射殺する。 罠の視界が開け外が見えると、熊は凄い勢いで金網に突進してきた。...
View Article巨桐と霧とマヨヒガ
大正十年の冬頃、さきの白望山の東南向きの麓、奥山音場という森林地帯に入って木炭焼渡世をしている人々がおり、それらの手によって奇体な巨木どもが毎日毎日伐り倒されてゆきました。何しろこの白望山森林地帯というのは実際の原始林なのですから、どれもこれも三抱え四抱え以上の巨木ばかりで、その幹は一様に苔に埋められ、その上に猿糸や木の耳、猿の腰掛などが生え附いているものですから、葉か花かでも無ければ、何が何木であ...
View Article中秋の名月を見て考えた。
まだ空が明るい中、中秋の名月が昇った。まだ満月に満たない月は明後日、遠野祭りの日に満ちる。ところで、中秋の名月という事は月見行事が行われる各地域や、各家庭があるのかと思う。日本の農事は桜が咲く頃が田植えを始めて、花見をする。そして秋の収穫のサインが中秋の名月であり、収穫を祝って月見をする。今では花見は盛大に行われているが、月見はひっそりとどこかで行われているだろう、という程度か。この習慣であり農事は...
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