
その後余程の年月が過ぎてから、その家で念仏があったという。その時、座敷で衆人が
「"なむあみだんぶ"」
と言えば、梁の上から童の様な細い声で、
「なむあみだんぶ」
と言った。また、下で、
「餓鬼の念仏南無阿弥陀仏」
と唱えると、やはり梁の上から、
「がきのねんぶつなんまみだ!」
と唱えたそうである。念仏講の連中は皆顔色を失い、
「先年の飢饉の時に蒸し殺した童子の霊魂だろう。」
と言い合ったとの事である。
佐々木喜善「遠野奇談」より
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飢饉の時は、真っ先に弱い者、邪魔者が間引かれたというが、まったく無念の死であると思う。