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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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中秋の名月を見て考えた。

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まだ空が明るい中、中秋の名月が昇った。まだ満月に満たない月は明後日、遠野祭りの日に満ちる。
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ところで、中秋の名月という事は月見行事が行われる各地域や、各家庭があるのかと思う。日本の農事は桜が咲く頃が田植えを始めて、花見をする。そして秋の収穫のサインが中秋の名月であり、収穫を祝って月見をする。今では花見は盛大に行われているが、月見はひっそりとどこかで行われているだろう、という程度か。この習慣であり農事は、あくまでも里の民を中心に作られたもの。春の田植え時期に山の神が降りて来て田の神となり、秋の収穫時に山の神は、山へと帰るものと考えたのは、里の民の都合に合わせてのものだろう。
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桜の「サ(SA)」とは、田の神を意味する神霊の「サ」から来ていると云う。そして「クラ(KURA)」は、その神の坐する場所。しかしサンスクリット語での「サクラ(SA-KURA)」とは、「同族・仲間の義」であった。考えて見れば、古代において里に伝わる言葉とは別に、修験者の間で通じる言葉があった。修験者、いわゆる山伏は、山の民でもある。画像は大洞の桜だが、この地は貞任山の入口でもある。山口部落が山の入口の意を持っている様に、この大洞の桜もまた山を意識して鎮座している。その貞任山とは、安倍貞任という蝦夷の長の名を冠した山であるが、その奥には明神平という大槌町にかかる採掘産金の場でもあった山の民の領域である。
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更に、白望山の大槌町側には金糞平という蹈鞴場があり、それは同じく山の民の領域であり、そしてそこには三つ又の桜の巨木が聳えている。この山の奥に置いて、田の神も何もあったものではない。サンスクリット語は、梵語として広く親しまれている。例えば「宇迦(ウカ)御魂命」の「ウカ」は梵語で「白蛇」という意味になる。修験が支配した信仰世界は、サンスクリット語が溢れている。修験などの山の民が、山に桜を植えたという事は、山の民の意図があると考えて良いだろう。となれば「桜(サクラ)」が「同族・仲間」を意味するのならば、それは山の民の集まる場所の聖なる目印として植えられた可能性があるのではなかろうか。本来、日本の桜は山桜から始まった事を考えて見ても、元々桜とは山の民にとって聖なる樹木としてあったものだと考えて良いのではないか。その山桜がいつしか里に降りて、里の民もが愛でるようになったと。となれば、山の神が山から下りて田の神となったという伝説は、山の民から桜を借りたものと考えるべきなのかもしれない。
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