
次には維新の頃の話であるが、遠野の藩士に大酒飲みで、酔うと処きらわずに寝てしまう某という者があった。ある時松崎村金沢に来て、猿ヶ石川の岸近くに例の如く酔い伏していたのを、所の者が悪戯をしようとして傍へ行くと、身のまわりに赤い蛇がいてそこら中を匍いまわり、怖ろしくて近づくことが出来なかった。そのうちに侍が目を覚ますと、蛇はたちまちに刀となって腰に佩かれて行ったという話。この刀もよほどの名刀であったということである。
「遠野物語拾遺144」
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刀が蛇になるのは名刀という事になるのだが、「遠野物語拾遺142」「遠野物語拾遺143」と、この「遠野物語拾遺144」と、蛇になった刀の話が紹介されている。ところが「遠野物語拾遺142」「遠野物語拾遺143」に紹介される刀は出自が明確で、名工の手による作という事がわかる。しかし、「遠野物語拾遺144」に登場する刀だけは謎である。ただ、この藩士が寝た場所が金沢という事だが、この金沢は金ヶ沢の事であり、蹈鞴場でもあった場所でもある。

天明三年に出来た「鉄山秘書」という書には、こう記されている。
「奥州には鉄山の有りしよし、出羽の鉄山を之を聞き及ばず。出羽の国は元奥州と一国なりし故に、鉄山は奥州に有りても、出羽と申すやらむ。その訳いまだ之を聞かず。」
実は、江戸時代での出羽刀、出羽鋼というのは、東北の出羽では無く、島根県の出羽村産の事を指してのものであった。島根県・・・いわゆる出雲地方であるが、これは、蝦夷征伐時に、刀鍛冶の技術者を俘囚として西国に連れて行った歴史がある。松本清張「砂の器」で東北弁の特徴であるズーズー弁を話す人物を探しても手掛かりが全く見つからず、言語学者に聞いたところ島根県などに、東北と同じズーズー弁を話す地域があると聞いて手掛かりを発見する。この映画「砂の器」の設定も、東北から連れて来られて住み付いた俘囚達の言語がそのまま残っていた為であった。恐らくその出羽村は、出羽国から連れて来られた俘囚達が名付けた村なのだろう。
出羽の産鉄は、鎌倉時代には無くなっていたと云う。しかし刀工達は、その後も舞草や月山で作刀していたようだ。月山とは刀工の一派であり、鎌倉時代から室町時代に名前の通り出羽国の月山を拠点としていた。恐らく「遠野物語拾遺142」に登場する「つきやま月山」という名刀は、この月山派によって作刀されたものだろう。
そして、岩手県にはもう一つの名刀工である舞草がある。舞草刀の謎は、原料の鉄をどこから調達したかという事の様だ。それは恐らく砂鉄を集めてだろうという事だが、刀の質、鉄の質そのものが当時の刀剣の中でも際立って優れていたという。舞草は平泉近くの地名であるが、その舞草刀の技術は既に蝦夷国に広まっていたいたのだろう。例えば安倍一族が前九年の役で敗走し、隠れた地に大槌がある。大槌の製鉄の歴史は平安時代まで確認できている。平泉近くの舞草刀の技術が大槌まで伝わっていたとして、何等不思議は無い。ましてや、大槌・釜石地域では、砂鉄より良質であり、簡単に鍛造出来る餅鉄が容易に手に入ったという。遠野と大槌の関係を考えても、松崎の金ヶ沢の蹈鞴場で作刀が出来た人物がいた可能性があるかもしれない。ただ、遠野の侍の所持した刀の大抵は、盛岡で買い付けしたものと聞く。そして、遠野での刀鍛冶の話は、明治時代に唯一、新町に一人だけいたという事である。それ以前の刀鍛冶が遠野にいたのかは定かでは無いが、明治時代の新町に住んでいた刀鍛冶者の技術は、どこで修行して得たものであったのかは謎である。
この「遠野物語拾遺144」に登場する名刀は、「遠野物語拾遺142」と同じ月山派によるものであったか、それとも「遠野物語拾遺143」と同じ藤六行光派のものであったか、それとも舞草派の流れを汲むものであったかは、想像を膨らませて考えるしか無いだろう。