
青笹村字中沢の瀬内という処に、兄弟七人皆男ばかりの家があった。そのうちに他国に出あるいて終りの知れない者が三人ある。総領も江戸のあたりを流れあるいていたが、後に帰って来て佐比内の赤沢山で、大迫の贋金を吹いて、一夜の中に富裕になったという話が残っている。
「遠野物語拾遺226」

大迫銭とは、慶応元年盛岡藩は幕府の認可を得て大迫の外川目に銭座が設営された事から始まる。造られた銭は、面が「寛永通宝」で、裏に盛岡の「盛」の文字が刻まれている。別名「背盛字当四文銭」と言われたそうである。「寛永通宝」は子供の頃に流行っていた「銭形平次」のオープニングに平次の投げる寛永通宝がアップになる為、昔の貨幣には寛永通宝というのがあったんだ・・・と真っ先に覚えた江戸時代の通貨であった。ただその寛永通宝が、地域によって裏側に刻まれるデザインや文字が違う事は後で知った。

贋金造りもまた、一攫千金の話ではある。こことは別に、小友町の岩龍神社の御神体である、神社の後ろに聳える不動岩の側面に"隠れ岩"というものがある。昔は、そこで偽金造りや博打をした場所だと伝えられるが、つまり無法者の集まった場所でもあったという事か。この「遠野物語拾遺226」も、男ばかり七人兄弟という事から、女のいない荒くれた生活になった影響もあるのだろうか。
「遠野物語拾遺108」の石田家でも男達ばかりのようで、田畑を放棄し狩猟に狂ってしまっている。狩猟も博打に近く刺激の強いものであるが、縄文時代から続く男の仕事でもある事から、地道な畑仕事よりも狩猟に生きがいを求めるのはわかる。だがなんとなく「遠野物語拾遺108」と「遠野物語拾遺226」の両方とも、男所帯であった為に極端な生活になった可能性があるのではないだろうか。学校でも、男子校・女子高と男女を分けている学校よりも、男女共学の学校の方が互いを意識して大人しく真面目になる事を思えば、男所帯の家と云うものは、こういう荒くれた生活になるのは仕方のない事かもしれない。ただ現代では、この生活は無理ではある。