
「文徳実録」に、鹿島の磯に大己貴命と少彦名命が現れた逸話が紹介されている。先に紹介した、鹿島と大甕の話も全て海であった。その海に関する神事が、鹿島を含む常陸国に多い。「会瀬旧述」には、会瀬浦の地名由来が紹介されているが、それは海の磯場に天の川の信仰が展開されていた。
「其より磯つたへに女浪、男浪を左右より打合せ、渚岸まで寄せ来れば、自然と陰陽和合の地にして、二星それぞれ相賀し給ふ。磯の瀬にして会するが故に、地名会瀬の浦と名付けしもの也。(抜粋)」
この会瀬浦は別名七夕磯ともいうようだが、それとは別に須弥山磯、または蓬莱磯とも呼ばれ、山岳信仰との関わりを持っているのはひとえに、天(アマ)は海(アマ)でもあるという事だろう。そしてそれは、アマである磯場に星が降り立つことを示唆している。
また常陸国には別の祭礼として、多くの磯出神事がある。これは、神迎えの神事でもあるようだ。それは磯に出現した神を再現する神事でもあった。神事の対象は磯である石。例えば物部氏の祀る石上神宮も、磯上神宮であるように、磯と石は同じものであった。これが陸地の石に神が降り立ったという伝承が付随する石を影向石とも云う。所謂、磐座信仰でもある。しかし常陸国でのこの磯出神事に出現する神は、殆ど大己貴命であるのは、どうやら日光と関係してくるようだ。
関東平野の灌漑用水には、利根川、鬼怒川、那珂川、久慈川などの川が利用されるが、その水源は那須岳、男体山、赤城山、榛名山など群馬県や栃木県の山々になっている。その中でも日光連山は奈良時代には、その山々を観音の浄土である補陀落の地として認識されたようだ。その日光連山には大己貴命、田心姫、味耜高彦根が祀られている。その神々の中心となる大己貴命が磯に出現するのは、常陸国と日光二荒山との関連が深いと云う証であろう。そしてそれはまた、山と海の関わりが深いという意味にもなる。その山と海とを繋ぐものは、川という水の流れであった。

山岳信仰では、人々の魂は山に登るとされる。しかし灯篭流しでは、魂の依代の灯篭が川下へと流れていく。しかしこれは、山である天(アマ)と海(アマ)が連動しているという事でもある。つまり山に登った魂は川の流れを伝って海へと向かうのは、その信仰の循環を意味する。その海で出現した神は雲となって登り、山に雨を降らせる。そういう自然の循環から竜神が想像された。その為、海に出現する神は竜神でなくては成らない筈だ。常陸国の自然と信仰に影響を与える二荒山には、星の信仰と蛇の信仰が存在する。

勝道上人が7歳の時に明星太子に仏法を興すことを訓えられ、日光開山は明星太子の導きであるとして、男体山開山後に川の南岸に星の宮を祀ったと云う。香香背男の別名が天津甕星であり、その天津甕星は金星であると今ではそう認識されている。これは天台宗になどの三光信仰の頂点に立つものが金星である事に関連している。その勝道上人が川岸に星の宮を祀ったというのは、やはり川の流れを意識していたものと思える。それは、川は山と海とを繋げる一筋の流れでもあり、それは一筋の竜蛇でもあるからだ。天空に広がる天の川もまた竜に見立てられたのは、川そのものが竜として認識され、それを天空に投影されたものであった。会瀬浦の別名七夕磯にある二つの磯(石)は星として表現されている。それは星堕ちて石となり、それは金の散気であるという信仰が定着しているからであった。

ところで「いわき市史」によれば、胡摩磯に白山神社の神と二荒神社の神が出現したとあるが、両神は同じ神であるのだろうか?このいわき市の白山神社の縁起書は皆無で、一体どういう神を祀っているのかはわからないそうだ。しかし、日光二荒山神社から勧請された、同じいわき市の二荒神社の神と同じく胡摩磯に出現する事から、同じ神であると想定される。
また、常陸国では神の出現する磯をサクともオンネ磯とも云われる。「オンネ磯」は「御根磯」であろうとされ、「根」は「よりどころ」の意もある事から、神の依代としての磯であり石の意であろう。ところが「サク」は正式には「咲浪」であり「サクロ・サクラ」とも呼ばれるようだ。春に咲く桜が「サク・ラ」「サ・クラ」と分割して思索されているが、結局は咲浪と同じ神の依代の意であろうと思う。その咲浪に関する伝承には、海に潜った海士が鮑を抱いて現れたという。「海中ノ事ヲ云ハズ、只此レ以降、鮑ヲ取ル事ナカレ」と告げ、仏門にはいったという。また別に「西金砂山縁起」によれば、延暦25年に西金砂の神が鮑の小舟に乗って水木の海に着いたとある。鮑は磯に付着して生息するもので、磯に出現する幣物として使われている実際、山に囲まれた遠野にある神社の祭壇に、鮑の殻を祀っているのをよく見かける。鮑は幣物であり、神の乗り物でもあると知られている為であろう。そして、その鮑などが付着する磯そのものが神格化されて作られたのが、安曇磯良であるのは理解できる。「八幡愚童訓」や「八幡宮御縁起」によると磯良は「常陸国または筑前の海に住む。」これは「琉球神道記」に記されている「鹿島の明神は、元はタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。常州鹿島の海底に居す。一睡十日する故に、顔面に牡蠣を生ずること、磯の如し。故に磯良と名づく。」に対応するものだ。磯良の本来は、白龍であり白蛇と説明したが、これらを全て結び付ければ、鹿島神宮の神とは蛇神であり、それは二荒山の蛇神であろうと想定でき、それに加え金星が関係するのが理解できる。