
大和岩雄「神社と古代王権祭祀」では鹿島神宮の建御雷神の本来は、甕を使用する武甕槌であったとしている。それは、鹿島を表現する歌にも読み取れる。
神さぶる かしまを見れば 玉たれの 小かめはかりそ 又のこりける「扶木抄(藤原光俊)」
この歌からも鹿島の本来は、かめ(甕)は神代より留まっている壺であるという意であり、それが鹿島を表しているともとれる。「新編常陸国風土記」では「常陸国の海底に、一つの大甕あり、その上を船にて通れば、下に鮮やかに見ゆるといへり。古老伝えいふ。此の大甕太古は豊前にありしを神武天皇大和に移したまひき。景行天皇当国に祀りたまふ時、此の甕をも移したまへるにこそあれといへり。」この記述から察すれば、この大甕は九州から運ばれてきたものなのたろうか?いや、別の言い方をすれば、九州の海神族が常陸の国へ進出し、その御神体を海に沈めて祀ったとも取れる。
鹿島神宮摂社息栖神社の伝承にも、海中に瓶があったと伝える。また阿波国の甕浦神社の御神体は大甕で、海の底にあった大甕が一夜海鳴りをさせて上がってきた伝承がある。また「琉球神道記」には鹿島明神について書かれており「鹿島の明神は、元はタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。常州鹿島の海底に居す。一睡十日する故に、顔面に牡蠣を生ずること、磯の如し。故に磯良と名づく。」鹿島神宮の御神体が甕であるらしいのがわかるのだが、それがどうも磯良となるのは、海神族の影響が鹿島にもあったという事だろうが、それでも武甕槌からは、そのイメージが浮かばない。あくまでも悪しき荒ぶる神々を平らげる為の存在のイメージが強すぎるせいか。ただ磯良であるなら、安曇族の進出が常陸国にあったという事になる。

大庭佑輔「竜神信仰」には、対馬に安曇族の祀った和多都美神社があり、それと共に多くの関連する神社を調べた詳細が記されている。それよ戸は白蛇であり白龍であり、白い水を伴う存在であると。その対馬と同じ九州の闇無浜神社に伝わる古縁起「豊日別宮伝記」には、下記のような伝承がある。
瀬織津比咩は、伊奘諾尊日向の小戸の橘の檍原に祓除し給ふ時、左の眼
を洗ふに因りて以て生れます。日の天子大日孁貴なり。天下化生の名を、
天照太神の荒魂と曰す。所謂祓戸神瀬織津比咩是れなり。中津に垂迹の
時、白龍の形に現じ給ふに依りて、太神龍と称し奉るなり。
伝承の最後に記されている「太神龍」だが、常陸国での竜神の表記に「妙泉太神龍」もしくは「妙泉大龍神」というものがちらほら見かける。妙泉といえば、遠野の早池峯神社の前身が妙泉寺である事を考え見れば、この影響を受けて命名されたのが早池峯妙泉寺なのだろうか。そしてもう一つ気になるのは、対馬の白龍に付随する白い水だ。中国地方に祀られる瀬織津比咩と白い水が何故か結び付けて語られ、遠野の六角牛の天人児伝承にも白い水が付随する。また、岩手県の花巻地域にはり早池峯を中心とする三女神伝承があるのだが、その一つ呼び石の地に鎮座する水白神社があるのだが、地域の古老に聞けば早池峯の神であると云う。
鹿島の大甕が磯良と結び付くのであるならば、その大甕は器であろうが、それは白い水を入れる甕でもあろうか。大甕から注がれる水は一筋の滝をイメージしてしまうからだ。
対馬周辺では磯良=白蛇=白龍であり、その依代は白い布であり白い水でもあるようだ。これは宗像のみあれ祭りでの神の依代が白い布であるのと一致する。白い布は水の流れにも重なり、瀧の落ちる水を瀑布と表現するのと同じである。湍津瀬(たぎつせ)とは、激しく流れる水でありそのまま白い水をも意味し、瀧そのものでもあるとされる。落差が僅かでも滝であるとするのは瀧の概念の一つでもあるが、瀧をイメージする激しい流れもまた瀧と同一視されている。それは遠野にも釜淵の瀧が、それと同じである。

茨城県静神社には天羽槌雄神が祀られているというが、その神社に伝わる伝承では、静神社の神は蛇体の女神で、その昔に出雲の神殿を七巻半も巻いて集まった神々を驚かせたと云う。その為なのか、静神社を祀る地も神無月では無いそうである。これは早池峯も神無月では無い事に対応するものであろうか。その静神社の神は、何故か鹿島神宮の高房社に祀られ、昔から鹿島神宮では本殿より先に高房社を参拝しなければならないしきたりになっているという。静神社の祭日は申酉の日となってというが、陰陽五行では申は水気であり水の発生を意味し、酉は金気で盛んになるという。つまり祭神の蛇体の女神は、水気と金気を纏う女神でもあるという事だろう。
静神社で古来から有名なお守りは「蛇除の御守」つまり静神社は本来、蛇神を祀っていたが、その神を抑える為に天羽槌雄神が祀られたのだろう。その正体は恐らく香香背男。カカは蛇の古語であり、女になった伝承もある事から、本来は蛇体の女神であると思わる。何故なら蚕を食べる鼠を捕食するのは蛇だからだ。その養蚕の保護をする蛇を排除する蛇除けの御守があるとはどういう事だ。となれば、静神社の祭神の本来は、蛇神でもある香香背男であった可能性は高い。天羽槌雄神をどう見ても、蛇神とは重ならないのであるから。
養蚕の守護は、いつしか蛇から猫に変わったようだ。しかし、その共通点は陰獣であり、女の性質を持つという継承のようでもある。猫が死ぬと、その死体は三叉路(辻)に埋めるのは、多くの人に踏み固めて貰い、その怨霊を封じ込める意図からだという。これを神社に適用させれば、蛇神である祟り神は、人の多く参拝する神社に合祀せよという事か。となれば、静神社に祀られた蛇神の女神が何故に鹿島神宮にも祀られているのか想像がつく。いや、静神社と同じ蛇神が鹿島神宮の本来の祭神である可能性もあるだろう。そして香香背男の名前をもう一度見直す必要性があるだろう。今まで香香背男には「男」という漢字があてられていた為に男神であるという認識が一般的であったが、それを純粋に「カカセオ」という音表記から考えてみたい。香香背男の別名天津甕星である事から、鹿島神宮との繋がりが想定できるからだ。