
此男ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿りてありしに、深夜に遠き処にてきやーと云ふ女の叫声聞え胸を轟かしたることもあり。里へ帰りて見れば、其同じ夜、時も同じ時刻に、自分の妹なる女その息子の為に殺されてありき。
「遠野物語10」

この殺された詳細は「遠野物語11」で紹介されるが、ここでは何故、奥山でその叫びが聞こえたのかという話になる。「注釈遠野物語」ではオマク説を採用しているが、確かに魂がこの奥山まで叫びを伝えたのだろう。人は死んだら魂は山へと昇るという山岳信仰は遠野で盛んであった。遠野全体で見た場合の山とは、一番高い早池峯が代表となるが、その地域によって信仰する山は変化する。遠野三山のうちの六角牛山の場合もあり、石上山となる場合もある。また山伏が信仰する山は修行場としての山で、それが天ヶ森であったり傘森山となる場合もある。また山口部落では貞任山に地獄山という子供の魂の集まる場所もある事から、やはり地域であり、その個人の信仰する山に魂は昇るのだろう。
山中異界であり、山中他界。魂の辿り着く山であるから当然、肉体が朽ちた魂は昇って来るのだろうが、ここでの奥山はどこを指しているのかはわからない。ただ言えるのは、同族である女が殺された叫びが聞こえたのであるから、その一族の信仰する奥山へ入っての事であろう。ただ、本当に聞こえたのかどうかだが、胸騒ぎというのは幻聴も含めて、その人自身に起こった事象が不吉であると感じる事である。これが夢であれば、悪夢であり、正夢とも捉える事が出来る。また一卵性双生児は、その感覚を共有できるという話があるが、この話では殺された女と山奥に入った男は兄弟であり、血のつながりを共有する存在である。そういう意味では第六感に働きかける何かがあったのだろうと捉える事もできるのではなかろうか。