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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺263(あの世での幸せ)」

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死人の棺の中には六道銭をいっしょに入れる。これは三途の河の渡銭にする為だといわれる。また生れ変って来る時の用意に、親類縁者の者達も各々棺に銭を入れてやるが、その時には実際よりもなるべく金額を多く言う様にする。たとえば一銭銅貨を入れるとすれば、一千円けるから今度生れ変る時には大金持ちになってがいなどと言う。また米麦豆等の穀物の類も同じ様な意味で入れてやるものである。先年佐々木君の祖母の死んだ時も、よい婆様だった。生れ変る時にはうんと土産を持って来なさいと、家の者や村の人達までが、かなり沢山な金銭や穀類を棺に入れてやったと言うことである。

                                                    「遠野物語拾遺263」
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死後婚だの、死後絵だの、生前が貧しく不幸な人生を送った人の為に、死後は生前に叶わなかった生活を与えようとする習俗は、この六道銭も同じであろう。江戸時代になり太平の世とは云われるが、東北の民の全般は、戦が無いだけで生活が豊かになった訳では無かった。明治時代になっても、白い米など食べた事が無かったようだ。ただ、遠野は内陸と沿岸の中心地である為に、内陸の人間や沿岸の人間や物資が集り、市場などで賑わい、その人と物を集まる町である遠野で、上手に商売をして設けた人々もまたいた。しかし、それ故、飢饉になっても遠野町の人達は、どうにか生活できたが、周辺の農民達は餓死者が多数出て居た事実がある。「早起きは三文の徳」とは広く言われるが、遠野での「早起きは三文の徳」とは、店の前、家の前に野垂れ死にした死体を他人の家の前に退けねばならぬので、遅く起きた家は、死体が山積みになっており大変であったとも聞く。まあ時代が変わっても、裕福な人はごく一部で、後は貧しいながら、どうにか生活を遣り繰りしている人達が大半であるのは変わらないのかもしれない。そういう中、せめてあの世では実現出来なかった幸せや夢を叶えてあげようとしのが、死後婚であり死後絵であり、この六道銭なのだろう。

ところで文中の「一千円けるから」だが、遠野地方では、物などを「あげる」事を「ける」と言う。「ける」というと、違う地域の人は「蹴る」と勘違いしそうであるが、遠野地方では言葉が略され、転訛している言葉が目に付く。例えば、「かき混ぜる」を「かます」と言うが、「かます」は「噛ます、咬ます」や「ぶちかます」など、衝撃を菟与える意にもなる。だから、遠野の人に「かまして。」と言われて、キョトンとする人も多く居るようだ。

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