
後産の下りるのが遅い時には、産婦の頭に甑を冠ぶせると間もなく下りるという。佐々木君の隣家の娘が子を産んだ時も、後産が下りなくて困ったが、村の老婆がこの呪禁を覚えていたので、難なく下ろすことが出来た。この呪禁の効き目は否と言われぬものだという。
「遠野物語拾遺239」
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医療技術が未発達な時代、出産は祝い事でありながら、死を伴う危険をはらんでいた。その為に出来る事とは、せいぜい「呪禁(マジナイ)」しかなかった時代である。例えば画像の様な犬の絵馬を奉納するのも、多産で丈夫な子犬を生む犬の様に…という願いが込められている。調べても、地域ごと、または家ごとに呪禁の種類は多種多様になるようだ。ここでの呪禁も、遠野全体に普及している呪禁ではなく、ある地域、もしくはある家に伝わるものであろう。
甑とは米などを蒸す蒸籠の事を言うのだが、遠野での甑とは蒸籠で蒸す時に底に敷く布の事を云う。別名「あげの」とも言い、その布を産婦の頭に被せる事が、後産の呪禁となっているのは、温める意味合いがあるのだろうか。例えば、鍋蓋で三回腰を抑えると安産になるとか、鍋蓋を温めて腰にあてると楽に産めるなどという呪禁もある事から、火処でもある台所用品を安産祈願にするのは、火の呪禁を利用しているのかもしれない。
また「後産が下りる」とは、胎盤とヘソの緒が出る事を指す。後産処理には、その部屋の畳を一枚あげておくとか、穴を掘って埋めるとか、甕を用意してそれに納めるなどという例がある。例えば四畳半の真中で切腹するのは、その真ん中の畳が霊界と繋がっているからだという。また地面の穴も霊界と繋がっているとか、鹿島神宮本来の御神体は甕に納めて海に鎮めてあるそうであるから、これらの事例は霊界送りの呪禁なのかもしれない。
よく調べると「徒然草(六十一段)」に「御産の時、甑落す事は、定まれる事にはあらず。御胞衣とどこほる時の"まじなひ"なり。とどこほらせ給はねば、この事なし。下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑を召すなり。古き宝蔵の絵に、賤しき人の産みたる所に、甑落したるを書きたり。」とある。この甑を落とすとは「下々から始まった。」と記されているように民間から発生し、「御産」は皇后や中宮などの高貴な女性の出産を敬う言葉であるから、それが効果があると皇族なども採用した呪術であるようだ。「甑(こしき)」は「子敷き」に通じる事から、甑を落として割る事は、胎児が敷いている胞衣を降ろす事を意味する言葉遊びが含まれているようだ。ところが遠野では、その甑を被るとなっているのは、いつしか間違って伝わったのだろう。遠野では甑に敷く"あげの"を甑と呼ぶようになったのも、甑=子敷き=布と伝わった為だろう。この「徒然草」での甑も別に「腰気」の意を持たせ、大原=大腹の甑=腰気を使うから安産に繋がるという二重の言葉遊びを呪術として利用している様。