
栗橋村の嘉助とかいう人が、本当に出逢った事だという。この人が青年の頃、兄と二人して山畠に荒畦を畳みに行くと、焼畠の中に一本の大木があって、その幹が朽ち入り、上皮が焼けた為に大穴になっていた。ふと見るとこの大木から少し離れた処に、大熊が両手で栗穂の類を左右に引つ掻ぐっている。兄弟は思わず知らず後退りをしてようやく物陰に隠れたが、だんだん心が落ち着いて来ると、そっと熊の様子を窺い始めた。熊はしばらくの間栗穂などを毟って食っていたが、何と思ったのかその朽木の穴の中に入って行った。どうしたのであろうと思いながら、なおも二人は見張っていたが一向熊は出て来ない。それが余り長いので、二人は、よし来た、あの熊を捕って高く売ろう。何とひどく大きな物ではなかったか、よい金儲けだと言い合って、おもむろに朽木の傍に歩み寄り穴の口に矢来を掻き切って、中から出られぬようにした。そうしてから兄は、誰にもこのことを聞かせるな、俺達兄弟して、中から出られぬようにした。そうしてから兄は、誰にもこのことを聞かせるな、俺達兄弟して、しこたま金儲けすべすと言い聞かせ、自分は穴を見つめたまま眼弾もしないで張番をしていた。そのうちに嘉助は家から鉄砲、鎗などを持って還ったので、二人は例の大木の処に引返し、いよいよ朽穴にさぐりを入れ、鉄砲、鎗などで突き立てようとした刹那である。大きな地震が揺れて、みりみりとこの大木を根こそぎに倒した。兄弟は驚いて樹の側を飛び退いていたが、やがて地震はおさまったので、この間に熊が逃げ出してはならぬと、穴の口に鎗と鉄砲を指し向け、待ち構えていた。しかしいつまで経っても熊が出て来ない。元気な弟はとうとうじれったくなり、獲物を先きに構えて穴の中に入ってみた。が、どうしたものか穴の中には熊の姿など見えなかった。いくら探しても、さらに影も無いので、仕方なく這い出して来て、兄貴お前は俺が家に行って来る間に熊が出たのを見失ったのだなと詰れば、兄は、何を言う、俺は瞬きもしないで見張っていたのだ。そんなことがあるものかと、互いに言い争いを始めた。二人はしばらく諍っていたが、ふと向う山の岩の上を見ると、先刻の熊がそこに長くなっている。あや、あんな処にいた、早く早くと罵り騒いだ。しかし熊はいつまでも身動ぎ一つしない。二人がそろそろと近寄って見たら、実はその熊は死んでいたのであった。不意の地震で木が倒れた刹那に、朽木の奥深く入り込んでいた熊が向う山へ弾き飛ばされて、石に撲ち当てられて死んだのであったろうという。ちょっとありそうもない話だが、これはけっして偽ではない、確かな実話だといっていた。
「遠野物語拾遺212」
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地震で大木が倒れ、それがシーソーの片側に強い力が加わった感じで、熊が吹き飛ばされた様な事になっている。大木が何の樹木かはわからぬが、ツキノワグマの体重は、オスで最大150キロくらいで、メスで最大100キロ弱となる。つまり100キロ程度の重りを飛ばすくらいの力が必要となる。

銃器が無い時代の古代、画像の様な投石機によって城などの攻略をしていた。しかし投石機では、100キロほどある熊の体を、遠くまで飛ばす事は出来ない筈。熊を飛ばす為には、更なる力が必要になる。

それが樹木で考えた場合、樹木の高さ、つまり長さが重要になる。樹齢何百年もの樹高の高い杉の木が支点・作用点・力点をスムーズに伝えた場合に、その可能性が高まるだろうが、まあ有り得ない話だ。ところで大木を倒す程の地震という事だが、恐らく明治29年の地震なのだろうか。この明治29年(1896年)の地震&津波以外に、陸羽(岩手・秋田)境を震源とする大地震が起きていて、和賀郡で倒壊家屋が多数あったようだ。このどちらかが「遠野物語拾遺212」で起きた地震であろう。ただ、大雨による土砂崩れならいざ知らず、地震で大木が倒れるとは考え辛い。土砂崩れなどでは、根の浅い杉の木などがバタバタと倒れるシーンをニュース映像などで見かけるが、杉や松の針葉樹とは違い、ブナやミズナラなどの広葉樹は根が深く、そう簡単に倒れる樹木では無い。倒れた大木とは針葉樹系だとは思うが、地震で倒れたというのは、よほど腐朽していたのだろうから、広葉樹の可能性もある。ただ、腐朽がかなり進んでいれば、その樹木そのものの強さとしなやかさを失っており、熊を向う山に弾き飛ばすのは有り得ない為、やはりこれは作り話となるのだろうが、その中にも本当の話はあるだろう。ここで、ドストエフスキーの言葉を思い出す。
「真実をより真実らしく見せる為には、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。」