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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺119(羽黒との類似)」

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土淵村の若者達が4人、5人、琴畑川へ木流しに行った時の事である。不動ノ滝の傍らにある不動堂に泊まっていたが、夜嵐が烈しかったので、堂の戸を堅く締切っておいたのに、夜明けになってみると、その中の一人が堂の外に投げ出されたまま、前後不覚で熟睡をしていた。宵に締めた戸はそのままであったから、これは神業であろうと言い合って恐れた。六、七年前の冬の事である。


                               「遠野物語拾遺119」
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この「遠野物語拾遺119」の記事は一度書いたのだが、今回たまたま戸川安章「羽黒山二百話」を読んで、この「遠野物語拾遺119」と似た様な話を読んだ。その内容は下記の通りである。
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日露戦争に出征した下士官あがりで、たいそう元気の良い太田金治という男がいた。ある夏の事、山菜を採るため羽黒山に登った。昼寝をしようと思って荒沢の地蔵堂に入り込み、うとうととまどろむと、何ものかに足を掴まれて、どさりとばかり投げ出された。これには、さすがの金治も、すっかりおじけづいて、早々に下山した。それからは、その時の事を思い出すと、肌に粟の生ずる思いがすると、これは、直接、本人から聞いた話である。                                       
 「羽黒山二百話 第十七話」
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まず、この荒沢の地蔵堂には元々羽黒山の本社に祀ってあった仏像を移したそうである。それ以前は、羽黒山本社は女人禁制で女性の参拝を禁止していた様だが、この本社に祀られる仏像の移転で、女性は羽黒山本社に行かずとも荒沢の地蔵堂に参拝すればいいようになったという事である。しかし、元々女人禁制の地に祀られてあった仏像であった為、女性の参拝が気に入らなく、いつの間にか後ろを向いたという伝承が残っている。

ここで早池峯神社を考えて見ると、大出の手前に小出という集落があり、そこに婆石というバスの停留所がある。そのバス停の傍らにあるイチイの木の根元に、小さないびつな石が置かれている。その石が女人禁制を犯した巫女が早池峯の神の怒りに触れ吹き飛ばされ落ち、石になったというものである。つまり古来は、この婆石から先は女人禁制であったようだ。

そして、この琴畑渓流の白滝傍にある不動堂は、元々白滝神社であった。ここに祀られていた早池峯の滝神は明治時代になって、五日市の倭文神社に合祀されたのだが、それと共に神仏分離の為、早池峯妙泉寺にあった不動明王像を、わざわざ琴畑集落の人達が早池峯妙泉寺まで貰い受けに行ったのだという。その不動明王像が今でも、この白滝傍の不動堂に祀られている。つまり、羽黒山の本社に祀られていた仏像と同じ内容となっているのであった。更に他の話を読んでいると、その仏像とはやはり不動明王像の様で、羽黒に伝わる話をまとめると、不動様を祀る家などでは卵を食わぬという伝承があるという。卵を奉納するのは大抵の場合龍蛇神であり、水神系となる。更に女人禁制となれば、それは山の女神である。

何度も書いて来たが、奥州藤原氏が広めた新山神社や新山寺に祀られるのは羽黒権現である玉依姫という仮名であり、その本当の神名は早池峯に祀られる神である瀬織津比咩であった。「遠野物語拾遺119」で伝えられた"神業"が、遠野から離れた羽黒の地で、同じ様な神業が行われたという事になる。

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