
妻がクセヤミ(悪阻)または出産の時に、その夫も同時に病むことがある。諺にも、病んで助けるものは、クセヤミばかりだという。
「遠野物語拾遺244」
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ここでは悪阻を「クセヤミ」と読んでいるが、通常は「悪阻(ツワリ)」という読みが一般的だ。この「遠野物語拾遺244」の話は現代でもよく耳にする話で、妻のツワリ時に、やはりツワリの様な体験をする夫がいるという。それを仲の良い夫婦と称する場合があるが、逆に妻を蔑にしていたので罰が当たったなどと捉える場合もあるようだ。
風邪をひいた人の傍に居ると、いつの間にか自分もその風邪がうつった様な感覚になる場合がある。「病は気から」の様に、妻の出産を心配するあまりに、その精神が同調した為に起きるのであろうか?
花粉症の実験に、花粉症にかかっている人達に向って「今から花粉を流します。」と言うだけで、実際には花粉は流していないのに、花粉症の症状が出るという。つまり、それだけ身体の健康には精神的なものが大きく、実際に体は普通であっても精神がそういう方向に行けば、脳信号がツワリの症状の様なものを伝えるのだろう。
精神とは恐ろしいもので、呪いもまた似た様なものである。呪いの呪符を発見したとか、もしくは呪われているという意識が働いた場合、やはり精神が病んでいくものだと云われる。実際に、呪いというものは存在しないとは思うが、呪いという言霊に精神が侵されて病んでしまうのが呪いでもある。だから古代の天皇は、多くの人達を犠牲にして天皇になった為に、傍らには呪い返しをしてくれる陰陽師などを置いていた。呪い返しというものも有り得ないが、その呪いを返してくれる存在がいるだけで、やはり精神的に楽になるのだろう。普通の水を良薬であると洗脳して飲ませるのと同じである。「悪阻(ツワリ」にかかる夫、かからぬ夫の違いは、その夫の精神構造によるものが大きいのだろう。