
狩人は山幸の呪にオコゼを秘蔵している。オコゼは南の方の海でとれる小魚で、はなはだ珍重なものであるから、手に入れるのはすこぶる難しい。これと反対に漁夫は山オコゼというものを秘蔵する。山野の湿地に自生する小貝を用い、これは長さ一寸ばかり、煙管のタンポの形に似た細長い貝で、巻き方は左巻きであったかと思う。これを持っていると、漁に利き目があるといって、珍重するものである。
「遠野物語拾遺219」
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江戸時代中期に編纂された「和漢三才図会」でオコゼは「形甚だ醜し、ゆえに之を醜女に譬ふ、其刺人を螫す、俗に云ふ山神鰧を見ることを好む。」とある。ここではオコゼの漢字に「鰧」が使用されているが、月偏で作られた魚を意味する漢字である。月とはしばしば西洋、東洋の神話世界では地母神であり、山神に深く関わっている。古代中国の崑崙山の西王母の容貌は「人に似て豹尾、虎歯、五残、天厲を司る。」とあって、まるで鵺を彷彿させる化物と言っても良いかもしれない。しかし古代中国では虎も豹も聖山の守護獣であった事から、西王母の体に取り込まれたという事らしい。そのオコゼも別の漢字で表せば「虎魚」とも書き記す。つまり、オコゼは山神の守護獣とも考えられる事から、奉納するという事は、山神を守る為でもあるのだろう。山神は大抵"女神"であると云われる。また「古事記」で伊吹山に登るという漢字が「騰」となっており、月偏に馬が使用されている。また「日本書紀」での伊吹山は「膽」吹山と記され、やはり月偏となっている事から、山と月と女神の関係が見出せる。
「太平記」での磯良は、顔にアワビやカキがついていて醜いのでそれを恥じて現れなかったというが、上のオコゼの画像を見れば、まさしく磯良ではないかと思ってしまう。オコゼが女神の守護にたつものであるなら、磯良が神功皇后の力となり三韓征伐を果たしたのであるなら、まさしく守護獣である。もしかして、オコゼには磯良のイメージを重ねて山の女神に奉納されるようになったのではなかろうか。

「オコゼは南の方の海でとれる小魚で、はなはだ珍重なものであるから、手に入れるのはすこぶる難しい。」とあるように、岩手県ではオコゼは採れない。画像はオニオコゼだか、瀬戸内海のような内海の砂泥の底に棲んでいて、普段は泥の中に隠れている為、刺し網や底曳き網にたまたまかからないと市場に出ない為、今も昔も希少性の高い魚である。しかし、山伏の使用するホラ貝も沖縄の海でしか採れない事から、山伏のネットワークで、ホラ貝やオコゼも東北に流入しているのだろう。だが、地域によってはミノカサゴもオコゼと称するようだから、似た様な魚を全てオコゼと言っている可能性はあるだろう。となれば、東北でも採れるミノカサゴが干物にされて、オコゼとして山神に奉納されている可能性はあるだろう。

では、山オコゼだが「注釈遠野物語拾遺」ではカワニナだと述べている。ホタルが好んで捕食するものにカワニナがあるのだが、平成になってからかなり減少している。ホタルの里を目指す地域では、そのカワニナを放流しているそうだが、増えて来ているのだろうか? ところで山オコゼを調べると、カワニナだけではなく、マムシ・毛虫・イタチ・サンショウウオなど、山い居る気味の悪いものを山オコゼと称したらしい。山の民が海の物を手に入れ、海の民が山の物ほ欲するのは、神話の山幸彦と海幸彦に繋がる気がする。このオコゼと山オコゼの伝承とは古代において、海の民と山の民との交流から起きたものではなかろうか。