
遠野の町の村兵という家には御蔵ボッコがいた。籾殻などを散らしておくと、小さな児の足跡がそちこちに残されてあった。後にそのものがいなくなってから、家運は少しずつ傾くようであったという。
「遠野物語拾遺88」

自分だけではないが、よく子供の頃、まだ誰も足を踏み入れていない新雪に、足跡を付けたり、飛び込んで遊んだりするのが楽しい感じがしたのは、やはり「一番乗り!」という感覚が嬉しかったのだと思う。昔は、家の隣が映画館で、まだ娯楽が少なかった頃、怪獣映画やアニメなどが上映される時は、かなりの早朝から映画館に並んでいる子供達も多かった。やはり映画館に「一番乗り!」する事が楽しみであり自慢だったのだと思う。まあこれは、大人になっても全く無いわけではないが、子供は特に顕著である気がする。
この「遠野物語拾遺88」で「籾殻などを散らしておいた」という事は、家主が意図的に籾殻を撒いたのであり、御蔵ボッコがいるかどうか確認する為だったのだろう。そして籾殻も新雪と同じに、子供心を刺激するものであったろうから、籾殻を撒くのは確かに有効な手段だと思う。それは子供の妖怪にとっての格好の遊び場であった為、こうして足跡が残ったのだろう。
しかし、そうして御蔵ボッコが本当に居るのか居ないのかと足跡を確認しているうちはまだいいだろう。その足跡が残らなくなった場合、逆に不安が膨れ上がったのではないか。御蔵ボッコが居なくなったと感じた時に、その人の精神がマイナス思考に陥ってしまうのではないか。人がマイナス思考に陥った時は、更なる負の要素を呼び込んでしまうもの。相手は御蔵ボッコという、幸せを運ぶ妖怪(あやかし)である。その妖怪が居るか居ないかを確認するのではなく、我が家には御蔵ボッコが居るという意識を常に持続させる方が、精神的にも良いのだと思える。