
最近飽きる程に韓国のニュースが続いているが、そのニュースの中で韓国人の大袈裟で衝動的な行動を見て思うのは、有名な「火病」というものだった。
ウィキペディアによれば「火病または鬱火病は、怒りの抑制を繰り返すことでストレス性障害を起こす精神疾患を指し、朝鮮民族特有の精神疾患であり、恐らくは環境要因による風土病であると。アメリカ精神科協会では、火病を朝鮮民族特有の文化依存症候群の一つとして精神障害の診断と統計の手引きに登録している。」
これは凡そ、朝鮮人の3人に1人は持っているという統計が出ているが、実際はもっと多いとも云われる。火病の症状は、なんとなくわかっていても、個体差によって出し方は違うのではないかとも思える。ただ言えるのは、非常に突発的であるようだ。

宗像朝臣赤麻呂という歴史上の人物がいる。「続日本紀」聖武天皇時代の天平十七年(745年)に「是の日、五位巳上を御在所に宴す。」として「宗形朝臣赤麻呂を外正五位上」と記されている人物である。宗像氏の中では、非常に学業に優れた人物であったようで、ある意味、宗像氏の中の医者の位置にいたのかもしれない。その宗像朝臣赤麻呂に伝わる秘薬に「火取薬」というものがあった。
火取薬は、人(生霊)や狐、狸、大神など霊や物の怪が取り憑いだと判断される場合の治療法であるという。それに必要なものは「桃の実、タマハハキ、灸」であると。
桃は「古事記」において、伊弉諾が黄泉醜女から逃げる時に投げ放ったもので、魔除けのモノとして現代でも伝わっている。ただこの時使用する桃は、秋冬になっても落果いない桃で無ければならないと。その桃の実は細かに砕いて粉末にし、酒と一緒に飲んだそうだ。
タマハハキは箒木(ハハキギ)であり、吉野裕子「蛇」によれば、箒神は波波木神でもある神名であるが蛇でもあるという。ただ通常は、箒本来の「掃き出す霊力」を期待してのものだろう。ただ宗像氏が薬として使用する場合は、この箒木を焼いて、その煙を嗅がせたという。つまり悪しきものを燻り出す方法として使用されたようだ。
灸は、その時代の日本には殆ど普及しておらず、大陸や朝鮮半島と近い宗像氏ならではのものであったようだ。その灸の使い方は、手足の爪際に二つずつ八カ所に一斉に灸をすえ、自分の名前を名乗り、その憑いているモノを立ち退かせようとしたようである。

【肥前国風土記】
ヒメコソの里。此の里の中に川があり、名をヤマヂ川という。その源は、北の山より出でて、南に流れ、ミヰの大川(筑後川)と合流する。昔々、この川の西に荒ぶる神があり、道行く人が多く殺され、人々の半ばが生き、半ばが死ぬありさまであった。
時に、このように祟る原因を占い求めてみると、次のように神意が現れた。すなわち、筑前の国、ムナカタの郡の人カゼコをして、吾が社を祀らしめよ。もし願ひにかなはばば、荒ぶる心を起さじ、と。
そこでムナカタのカゼコを招き、神の社を祀らせた。カゼコは幡を奉納し、祈っていった。神が誠に私の祭りを欲するなら、この幡は風のままに飛んで、私を求めている神のいる場所に落ちよ、と。
やがて幡を揚げ、風のまにまに放ってやると、幡は飛んでいって、御原の郡のヒメコソの杜に落ち、さらに還り飛んでヤマヂ川のとりに落ちた。そのおかげで、カゼコはおのずから神の在します場所を知った。
その夜、カゼコの夢に、クツビキとタタリが舞い遊びでて、カセゴを圧し、驚かせた。そこでカゼコは、この荒ぶる紙が女神であることを識った。カゼコが社を建てて祀ったので、それ以来、ヒメ神の名からソメコソ(姫杜)という名が由来し、今は里の名となっている。
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例えば上記の「肥前風土記」だが、宗像のカゼコに女神が憑いた話でもある。狐憑きや犬神憑きが憑きモノの話では有名だが、神話世界では神々も人に憑いているものが多い。ある意味、巫女は”降霊術”をする時の媒体であると思えば良いが、憑くモノは時として形式を問わずに、いきなり憑くものである。それが大神の場合であったり、狐などの獣である場合など、様々な場合があった。いや、あったと言うよりも”断定”されたと言う方が適切だろう。現代と平安時代では、モノの考え方も意識も違うであろうが、その時代の日常と普通というものは確かにあった。その日常と普通を薙ぎ払う異常を曝け出した者を、物の怪が憑いたと判断し、それを”火”としてみたのだろう。それ故に「火取薬」という名称が付いている。この場合の火は、日常に使う竃などに灯す火では無く、予測のつかない突発的に起こる火災などと同じものに喩えての火である。
宗像氏は玄界灘に面した場所に、宗像大社に宗像三女神を祀っている。その地はある意味、朝鮮半島に接した地でもあった。その宗像大社は朝鮮半島とのライン上にあるのだが、その先にある、現在韓国領となる濟州島に「日本から渡って来た三人の女性と結婚して国を開いた」という伝承があるのも、ある意味宗像が朝鮮半島から来る人々の玄関であったという証であろう。つまり宗像氏は、それだけ多くの朝鮮民族と接してきたという事は、先に紹介した朝鮮民族特有の火病とも接して来たのでは?という憶測が成り立つ。宗像大社では、今でもこういう憑きモノに対する祓いをしているようだが、呪術も医療も、その根底は同じものであった。ただ言えるのは、現代では「火病」という精神疾患は「憑きモノ」として捉えられ、その対処法が宗像氏を中心に考案されていったのではなかろうか。今回紹介した「火取薬」とは、憑きモノを祓う呪術であるが、それは医療行為と同じである為に「火取薬」と命名されているのだろう。