
字栃内林崎にある宝竜ノ森も同じ様な場所である。宝竜の森の祠は鳥居とは後ろ向きになっている。森の巨木には物凄く太い藤の蔓が絡まり合っており、ある人が参詣した時この藤がことごとく大蛇に見えたともいわれる。佐々木君も幼少の頃、この祠の中の赤い権現頭を見て、怖ろしくて泣いたのをはっきり覚えていると言う。
「遠野物語拾遺125」

社と鳥居の向きが違うのは「注釈遠野物語拾遺(下)」によると口伝として、夢枕に宝竜様が起ち、山崎の観音様の方が、宝竜様より参詣人が多かったのを面白く思わず後ろ向きに祠を建立させたという話があるようだ。ちなみに祭礼の日は、9月29日であるという。
この宝竜は雷神であると伝えられているようだが、宝竜は「ホウリュウ、ホウリョウ」と岩手県内でも、様々な漢字があてられて広まっている。しかしその大元は飛龍(ヒリュウ)であり、那智の飛龍権現の転訛により、ヒリュウ→ホウリュウ・ホウリョウとなったようだ。それ故に、龍神であり雷神でもある。
ところで向きの話だが、鳥居は北東を向いている為、通常の社は南を向けるようになっているので、単純に南東側に向けたのでは無かろうか?口伝の話は、どうも後で取って付けた様な話になっている。通常であるなら、社などは太陽の運行に向けるようになっている。異端は胡四王神社の北向きになるが、これは逆に星の運行、つまり北辰の運行に向けた神社が胡四王であるだろう。胡四王(koshiou)も本来は星王(hoshiou)、つまり北極星と北斗七星に向けてのものだと思う。

この小屋の内部に、小さな社がある。その扉を開けると、画像の様に今でも権現様が置かれている。子供心に、いきなりこの権現様が現れたら、その当時の子供であれば、怖くて泣いたのかもしれない。ある意味、ビックリ箱のようなものであったのだろう。

現在は藤が無いのだが、藤は何故か水と結び付く樹木でもある。水に関する仕事をする人達に何故か「藤」の付く姓の人が多いというのも昔から指摘されている事ではある。この宝竜様が雷神であり水神であろうから、元々藤の自生していたこの地に、後からこの宝竜権現を祀ったのだと思うのだ。恐らく藤の蔓は蛇であり竜を想起させる事から、藤と龍神が結び付けられたのだと思われる。