
六月一日に桑の木の下に行くと、人間の皮が蛇の如く剝け変わるといって、
この日だけは子供等は決して桑の実を食いにも行かない。
「遠野物語拾遺297」
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遠野ではオシラサマやカイコで有名な桑の木であり、また魔除けの「くわばら、くわばら」でも有名な桑の木である。その桑の木が、何故か蛇に繋がりそうな話である。子供に対する禁忌はいくつかあるが、これは六月一日限定の禁忌となるようだ。「遠野市史」で年中行事を確認すると六月一日は、こう記されている。「歯固めの日で、正月についた供え餅を干しておいて、それを食べる。」とある。
「歯固め」は「食い初め」とも云い、自分の住む周囲では生後100日頃に、アワビを噛ませる民俗行事があるが、これは地域性もあるので、遠野全体がアワビでは無く、餅の場合もあるのだろう。ただ、6月1日を限定するというのは、どういう事か?生後100日を逆算すれば、だいたい2月20日頃に生まれた子供には適用するのだろうが、それ以外の日に生まれた子供に対しては適応しない。もしかして、6月1日が「歯固め」である事自体が間違いではなかろうか。

とにかく、6月1日は蛇の様に皮が剝けるという事から、蛇の関係を探ってみよう。まず遠野では、歯固めに正月の餅を食べるとあるが、正月の餅は鏡餅であり、鏡餅そのものは蛇である。例えば大神神社の御神体である三輪山は蛇そのものであるというが、山の形状が三角錐で、蛇がとぐろを巻いた姿であるという。鏡の語源は、カガであり「カガ」は輝くなどの意味があるが、ヤマカガシのように蛇の古語でもあ。
「日本書紀」雄略天皇記に少子部栖軽が天皇の命を受け、雷神である大蛇を捕まえるが、その瞳は赤く赫赫(かが)やいていた。また「大祓祝詞」において「潮の八百曾に座す速開都比賣と云ふ神 持可可呑みてむ」とあるが「可可(カカ)呑みてむ」は、蛇の様に呑むであって、雄略天皇記での蛇の目が「カカ」であるのがいつしか、蛇が丸呑みするのも「カカ」となっている。つまり「カカ」そのものが「蛇」という事になっている。つまり「鏡(カガミ)」は「カカ身」であり「カガ目」でもあって、鏡そのものは蛇を意味する。正月に飾る鏡餅の形は、三角錐で三輪山と同じで、蛇の姿を意味している。その蛇でもある餅を食べるとは、ある意味「蛇」の継承ではなかろうか。
まだ歯の生えたばかりの子供は、前歯だけである。その前歯だけというのは、まるでマムシの前牙のようにも思える。食い初めの起源は平安時代まで遡るが、その由来も含めて曖昧のようだ。しかし百日という限定はあったようだ。ここで妄想を拡げれば、この百と言う数字で気になるのは、百足に日を加えれば、百の足る日となる。足る日は、満ちたりた日の意味で、吉日となる。二荒山の起源で有名な大蛇と百足の戦いだが、蛇の勝利に終わるのは、満ち足りた日の意味と重なる。生後百日が蛇のような前牙が生える日であるのなら、何等かの蛇の吉日に結びつきそうではある。
蛇ついでに書き加えれば、六月は水の月であり、六月晦の大祓が行われる月でもある。穢祓とは禊ぎであるのだが、本来は「身殺ぎ」であり、蛇の脱皮を意味している。蛇が脱皮を繰り返して新たな生命を繰り返すように、身に憑いた穢れを祓う事こそが、古い衣服を脱ぎ捨てる様な身を殺ぐ行為である。
桑の木は魔除けとなるが、六月一日に、その桑の木で蛇の脱皮のように皮が剝けるという話は、それは禊であり、身殺ぎの意味合いがあってのものだろう。つまり、本来は目出度いとされた俗信が、いつしか蛇の様に皮が剝けるというイメージが、時代と共に蛇の神聖が零落した為ではなかろうか。