
神仏分離となった明治になり、諸社を合祀し倭文神社となったとある。ここで祀られる瀬織津比咩は、琴畑の白滝神社から合祀されている。

元々は文殊菩薩を崇敬していたらしく、地域では今でも文殊様と呼ばれているらしい。

本殿に向かって左下に、小さなお社がある。

そこには黄金の厨子に入った像があった。文殊菩薩か?と初めに思ったが、象に乗っている菩薩であるから普賢菩薩であるのだろう。星に関わりのある菩薩が、何故ここに祀られているのかわからなかった。

また、倭文神社の鳥居側にある御堂は、以前に聞いた時文殊堂と聞いた気がしていたが、祀られているのは不動明王と権現様であった。住宅地図で確認すると、不動尊と表示されていたので勘違いだったか。しかし、何故ここに不動尊が祀られているのかも疑問ではある。


文殊様と呼ばれていながら、この倭文神社の周辺を見ても、文殊とは違うものが祀られている。

ただ昔は、子供達の寺子屋代わりに、ここで書や学問を教えていたという。今でも、子供達の清書を奉納しているという事だから、智慧の文殊という名残はあるのだろう。

ただ祭神を見る限り、本来の倭文神社とも違い、文殊との関連も無くなっている事から、きちんと調べる必要性があるのを感じた。今後の宿題としよう。