
昭和35年は終戦から約15年経っており、高度成長期の真っただ中だった。全国で観光開発がなされて行き、遠野市は「遠野物語」に着目し、観光資源として全国に発信し始めたのが昭和40年代の後半。岩手県の遠野市なんて、殆ど知る人もいない時代に、遠野市を宣伝し始め、観光客を呼び込み始めたのだった。とにかく遠野市は、これからもっと発展し続けるだろうと、いろいろな建物も建造されていった。とにかくこの頃には、明るい未来だけが見えていたのだろう。

ところで昭和35年の北上市の人口が42979人となっており、この昭和35年の遠野市との人口は、北上市とそんなに差が無かったのには、少し驚いた。そして昭和40年代になっても人口は増えるものと認識されており、このままでは食糧難になるだろうと懸念されていたのを記憶している。バイパスの通る以前の遠野は、遠野中学校より北は、ほとんど田んぼ。それだけ米が必要とされていた時代でもあった。いつしか減反、減反と遠野市の田んぼも減っていき、少子化時代の突入で今では学校が合併され続けている。人は、力である。人が減る一方の地域は、その力が失われていくという事。明るい未来を見つめていた遠野市の行く末は、果たしてどうなるのだろうか。
