

江戸時代の説話集「諸国里人談」には、夜道を歩いている人達が髪を切られる怪異が多発した話が紹介されているようだ。その話でも、髪を切られた本人が気付かず、切られた髪はそのまま道に落ちていたという事も、遠野の飲み屋街に落ちていた髪の怪異に似通っている。また明治時代にも、召使であった女性が便所で髪を切られ「髪切りが現われた。」として騒動になったようだ。

戸部民夫「神秘の道具」によれば、髪は本人の意思に関係なく生えてきて、切ってもまた伸び、抜けても生え変わり、体から切り離しても腐る事無くその形態を保ち続ける。その神秘性から神に通じる神聖なもの、人の魂や生命力を象徴するものと考えられてきた。このように魂と生命力と結びつけられた髪には、古くから呪術的な力があるとされ、髪を切って神仏に供える願掛けの習俗は全国に見受けられる。
宇野久夫「髪形の知性」を読むと、世界中に髪を切る事をタブー視した民族や、時代があったようだ。その根底には、髪には髪が宿ると信じられていた事がある。この考えは日本にも伝わっており、髪(かみ)は神(かみ)と同じ意味を持つとされている。髪の毛の生える「頭(あたま)」とは、「天の霊(あまのたま)」であり、天から降って来た神の霊が憑いた所と考えられた。それ故なのか古代人は髪を切らずに、みづらなどのように髪を結うという事をした。
同じ髪でも、特に女性の髪は霊力に溢れると考えられてきた。女性の髪の毛は、例えば巫女が神降しをする時の依り代となり、危難除けの護符ともされ、神仏に対する祈願の呪物とされてきた。上の画像は、それを意味している。古代中国では、髪から魂が抜け出るとも考えられ、魂が抜け出ないように髪を結う習慣があったという。ただ「日本書紀」天武天皇13年「主として巫女の類の者は、結髪よりも垂髪の状態のまであることが望ましい…。」という御触れが出たのは、神霊を司る巫女は、長い髪を垂らしてこそ、その力を発揮できるものと考えられていたからだ。

ちなみに上の画像は、歌川芳藤「髪切りの奇談」であり、髪切りに遭遇した話を元に描かれているそうである。つまり、髪切りとは黒い影のようなもの。その黒い影といえば、この髪の束が棄てられていた場所は、「感応院と子供の黒い影」に関係ある場所でもあった。