





そして、この遠野チームの面々の名前には、遠野の地名や神様が採用され名付けられている。ネットで検索すると、その遠野チームの面々を民俗学的見地から考察するサイトが数多くあった。自分の宿に泊まった客は、小瀬川白望をメインに意識していたようだが、他にもいろいろと気になるキャラクターがいた。


目が赤いで連想するのは「古事記」でのヤマタノオロチの話。ヤマタノオロチの目を「赤酸漿(アカカガチ)」と表現している。赤酸漿はホオズキの事をいうのだが、「古事記」以降から、赤い目=蛇の目という認識が出来上がっている。今ではヤマカガシでわかるように、カガチそのものが蛇の古語である事からも、ホオヅキそのものが蛇であるのは、やはりヤマタノオロチの話から定着したものであろう。また姉帯豊音の乱れた長い髪も、ヤマタノオロチの八つの頭と尻尾をイメージしたのでは?と感じてしまう。

「遠野物語第三話」の鉄砲で撃たれたトヨを表現する「身のたけ高き女にて、解きたる黒髪は又そのたけよりも長かりき。」という文が、「咲-saki-」の作中で語られた事から、姉帯豊音は「遠野物語三話」の山に住んでいたトヨで確定的だとされている。しかし、この「咲-saki-」の作者のキャラのネーミングは、どこか捻りを加えているように思える。例えば、小瀬川白望だが、単純思考の作者なら「白望」を名ではなく、名字に付けたと思われる。そして、この白望の名字である「小瀬川」だが、遠野に住んでいるなら、土淵を流れる小烏瀬川をイメージさせる名字だ。遠野チームである事から、小烏瀬川(こがらせがわ)を使用したほうがベタだが、遠野らしい。しかし語呂が悪い為に、敢えて"烏"を外した名字にも思えてしまう。余談だが小烏瀬川は、美しい川の名前だと思う。しかし、小烏瀬(こがらせ)は子涸らし(こがらし)に通じるとされる。飢饉の時には間引きの為に、生後間もない子が、小烏瀬川に流された話を聞く。また、昔の謎々に「空巣(カラス)」などと揶揄された。麻雀は、勝負事。験を担ぐなら、カラを外すのは心情か。
ところで気になるのは、姉帯豊音の名を「トヨ」ではなく「豊」を使用している事。自分は、姉帯豊音の絵を見て蛇をイメージした。その蛇と豊が重なるキャラクターが二人いる。一人は、「古事記」に登場する豊玉姫。海底の空間に住む、蛇とも鰐とも云われる存在が豊玉姫だ。もう一人は、上田秋成「雨月物語」の中の「蛇性の淫」に登場する蛇に取り込まれた豊雄だ。姉帯豊音のモデルが「遠野物語三話」のトヨであるならば、姉帯豊だけで「音」は要らなかったのでは?と思うのだが、敢えて漢字二文字の名を採用したのには、「蛇淫の性」の豊雄を意識し、その女性バージョンに変えたのでは?などと思ってしまう。まあこれはあくまで作者の脳内変換であるから、なんとも言えないのだが。

その六曜使いであるとされる姉帯豊音のニックネームが「背向(そがい)のトヨネ」。「背向」とは、背中合わせ、もしくは裏腹。どうも「背向のトヨネ」という言葉を強調しているように感じる事から、姉帯豊音の本質はそこに潜んでいるのではなかろうか?背中合わせで思うのは、背の裏表は腹。腹で連想するのは、やはり「遠野物語54」の腹帯ノ淵。大蛇に取り込まれた娘は、腹帯ノ淵で独りぼっちで住んでいる。川の中のその娘に出会った者は、ここでの事を誰にも話さないのであれば身上が良くなる能力を授けるとなった。その能力とは、博打に勝ち続ける能力であった。自分は「咲-saki-」という作品を読んでいないので、作中で姉帯豊音が、どうやって負けたのかはわからない。ただ、この蛇から授かった能力は、勝ち続けた後に、何らかの理由で一気に下降する可能性を秘めているという事。ともかく、姉帯豊音のニックネーム「背向(そがい)のトヨネ」とは、腹帯ノ淵の大蛇に取り込まれて、ぼっちで生活している娘を暗に示しているのではないだろうか?
とにかく、自分は「咲-saki-」という作品を読んでいないし、アニメも観ていない。今回は、宿泊客に触発されて書いた遊び記事なので、考察そのものも思い付きによるものである為に、本当のファンの方々には申し訳ないと思う。実は今回、宿泊客は、白望山登山を雨のために断念した。来年、もう一度遠野を訪れ、白望山に挑戦するそうなので、再び会えることを楽しみにしていよう。
尚、この記事に使用した「咲-saki-」に関する画像だが、ネットで出回っている画像を無断で拝借したことをお詫びしたい。