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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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御白様・神闇様・奥内様

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柳田國男「遠野物語」によって紹介されたオシラサマは本来、小正月の時だけに語られる話であったものが、今では語り部のレパートリーに組み込まれるなどして、あまりにも有名になった。「オシラサマ」という呼称にあてる漢字は、今のところ無い。遠野の民は、文字ではなく話を通じてオシラサマを認識してきたからだ。ただし「オシラサマ」の「シラ」に漢字をあてるとしたならば、やはり「白」なのだろう。別に「お知らせする神」という認識から「知」という漢字も有りだろうが、オシラサマに関する全般を調べると、やはり「白」が適切であると思う。そのオシラサマは養蚕の神としても知られる。養蚕の主役は蚕だが、この蚕の正式名は「天の日の虫」という事で、太陽と関係するようである。事実、ある家の烏帽子を被った男神であろうオシラサマの後には、太陽神と認識されている「天照大神」と記されていたそうである。そして同じオシラサマの女神の方には、何も記されていなかった。これを、どう捉えるかである。
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ところで、このオシラサマとは別にカクラサマという神様がいる。佐々木喜善はカクラサマを評して「この神はオシラ神とは、全く反対の性質を持ち給ふが如し。形態に於いても霊験に於いても二神は遂に全く相違す。」と述べている。オシラサマの「シラ」を「白」とした場合、「白々」の意味には、だんだんと夜が明ける様を表す事から、太陽を内包する言葉でもある。そしてカクラサマの「カクラ」だが、"カクラ神社"なるものが遠野にはいくつも点在して祀られている。その「カクラ」にあてられる漢字は「神倉・神楽・角羅・賀久羅・神座」などである。秋田県に雪で造られる「カマクラ」があるが、このカマクラの語源はどうも「カマ(覆う)クラ(影)」の意でもあるようだ。佐々木喜善が指摘している様に、オシラサマと正反対の性質を持つカクラサマであるなら、オシラサマが太陽をも意味する神であるなら、それと対比される影はまさにカクラサマの性質にも思われる。「クラ」は「影」の意ではあるが別に「闇」という漢字も当てる事が出来る。これは貴船神社の祭神である高龗神・闇龗神で理解できるだろう。貴船神社の闇龗神は、「谷」の意味を有する。その谷である闇龗神に相対するのが、山である高龗神となる。古代、山の頂は天とされた。天に帰る天女の行きつく先は、山の頂でもあった。つまり太陽神である天照大神が坐す高天原は、天空でもあり山の頂でもあった。そして谷は民の暮す平地では無く、さらに窪んだ地である。琵琶湖の桜谷が黄泉国の入り口であったように「谷」にはもっと奥深い意味が隠されている。太陽を意味を内包する「白」がオシラサマに含まれるのだが、それに相対する性質を持つカクラサマは、まさに「白」に相対する「闇」ではなかったか。カクラサマにあてる漢字は様々あるのだが、本来は「神闇様」ではなかろうか。確かにカクラサマは、オシラサマに全く相違する神であるように思われる。

そして、もう一つ気になる事がある。伊能嘉矩「遠野くさぐさ」において、遠野におけるカクラサマの伝承を紹介している。「野外に於ける一種の神にカクラサマと呼ぶあり。木造の半身像にて、多くは荒削りに形つくられ、男女二体より成り。是り太古八百万の神々の中にて剰れる神にまし此神より除外されたまひしなりと。」と伝えられているようだ。それでは「除外された神」とは、どういう神であろうか?思い出すのは、高天原から移封され、最後には根の国・黄泉国の神となる素戔男尊が思い浮かばれる。もしくは、武甕槌と経津主神でも倒せず、代わりに派遣された建葉槌命によって倒された香香背男(天津甕星)もまた除外された神と考えるべきか。さらに「古事記」に記載されない瀬織津比咩のような神もまた、除外された神と考えてよいのかもしれない。カクラ神社は、殆どが村境に建てられている。村境とは道祖神や各々石碑などが建てられる、あの世とこの世の境界ともされる場所である事からも、カクラサマが黄泉国に寄った神である事が何となく理解できる。オシラサマが男女二体による神像であるとされ、実際にオシラサマは男女二体、もしくは馬像なども含めて三体となり祀られている。しかし、それではカクラサマがオシラサマと対になる神であるのには不自然ではないか。そのカクラサマもまた、男女二体として別に祀られているのは、やはり不自然。オシラサマとカクラサマが形態や霊験において全く相違する神であるというのは、火と水、男と女の様に、陰陽五行に則った形である。それ故に、オシラサマの知られている祭祀方法が、カクラサマを排除した祭祀方法となっているのは、どこか解せない。もしかして伊能嘉矩の紹介している様に本来、オシラサマの対であったカクラサマが家神から除外された為に、現在伝わるオシラサマの祭祀方法になったのではとも考えられる。
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そして、気になるのはオクナイサマだ。学者の研究によれば、オシラサマもオクナイサマも同じものとされている。ただオクナイサマの神体が掛軸だったり木彫りの人形だったりと、オシラサマに比べて形態の変化に富んでいる事くらいか。ところで遠野ではオクナイサマは「屋内様」では?と認識されている。これが山形県へ行くと、「御宮内様」であろうとされている。カクラサマの「クラ」が影の意であるのは、古代縄文人の言葉によるものであった。そしてオクナイサマであるが、「ナイ」という言葉は、例えば遠野市では栃内・佐比内・来内など、いくつも「内(ナイ)」の付く地名がある。「ナイ」とはアイヌ語で「谷」を意味するのだとされている。これは、先にカクラサマの「クラ」は闇龗神の「闇」であり「谷」を意味するというものに繋がってくる。伊能嘉矩は、オシラサマと対になるのはカクラサマであり、カクラサマが屋外に祀られる事に対比し、屋内で祀られるオシラサマを「オクナイサマ(屋内様)」と呼んでいるのだろうとしている。ただ「ナイ」というと、古くは「なゐ」という音は、地震を意味していた。しかし正確には「なゐ」は大地を意味し、大地が揺れる地震を「なゐふる」としていたものが、省略され、いつしか「なゐ」だけが地震を意味する語となったようである。その「なゐ」という語は「日本書紀」にも記されている為、「なゐ」=「地震」というのはかなり古い時代まで遡る。つまり「ナイ」が大地を意味する語として呼ばれていた時代は、途方もなく古い時代という事になる。


「ナイ」が「谷」であるなら、それは窪んだ大地と考えて良いのかもしれない。屋内の奥座敷に祀られるオクナイサマは、正確には「奥内様」であろうか。「奥内」が、奥の窪んだ大地、つまり沢の流れる谷であるならば水をも内包する。それに対比するかのように、家屋内で日(火)を扱う場所がある。竈がある台所である。陰陽五行で、日・火は陽であり、男を意図し、水は陰であり女を意図する。家屋の台所にある竈神は火男=ヒョットコとしても有名となり、そのヒョットコに対比されるものにオカメがいる。このオカメが登場するのは近代になり里神楽で登場したのが初めてとされるが、カメの「カ」は甕からきている。もしくは、亀に似ているからともされる。どちらも水に通じる語であるが、本来は蛇神を意味する龗(オカミ)が原型ではなかったろうか。「オカ」そのものは「陸・岡」の意を含み大地にも通じるが、「オカ」の原初は「オ」は「峯」であり「カ」は「棲家」が結合して出来た言葉であるようだ。また、亀といえば四神の北を守護する玄武という亀の神獣がいる。陰陽五行において、北を護るのは亀であり、水を意味している。そして色は黒色であり、「遠野物語拾遺44」「遠野物語拾遺46」に登場する黒蛇大明神が、実は早池峯大神であったのも、陰陽五行において黒蛇が北を意図した蛇神であった事を意味している。古代日本で、峰に棲む神とは蛇神でもあった。どちらにせよ「オカメ」も「オカミ」も蛇神であり水神に通じる語である。つまり家屋には、男神である火神と女神であり蛇神である水神の棲家が意図的に作られていたのではなかろうか。


オシラサマとカクラサマが本来、対となる男女神であったのならば、その本来の形を繋げる役目がオクナイサマではなかったか。オクナイサマはオシラサマであるとはされているが、オクナイサマそのものの語に、オシラサマとカクラサマを繋げる意図をどこかで感じてしまうのだ。「古事記」には、古代の縄文人が使用していた語によって理解出来た文がある事から、「古事記」そのものが大和言葉と縄文語の融合によって記された書であったのだろう。「ナイ」という語もまた縄文語でも捉える事が出来、「オカ」という語を含めて、遠野では全て文字では無く、口承によって伝わって来た事からも、あらゆる語が混雑していたのではなかろうか。オシラサマ・カクラサマ・オクナイサマは、未だに分からない事が多い。あくまで「恐らく、こうであったろう。」という漠然としたものでしか理解できていないのが現状である。新年早々、戯言・妄想の記事ではあったが、今後もこういう戯言・妄想のような記事も書いていきたいと考えている。何故なら、本当の意味を探るには、いろいろな視点もまた必要となる。少々突飛な視点であったも、何かのきっかけになれば良いだろうと考えるからだ。

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