
遠野地方では、子供に対して「笊を被ると背が伸びない。」と言って、子供に笊を触れさせないようにしていた。これは、子供が笊を魚獲りに持って行かせない為の言葉であったようだ。

ところが「箕は被るな!」という言葉は、含む意味が異なっていた。遠野では「癲癇」を「ドス」または「ミカブリ」と呼んでいた。その為、癲癇を持った家系を「ドスのマキ」「ミカブリのマキ」と呼んでいたという。また「マキ」というのは別に「遠野物語拾遺249」で書いているので参考にして欲しい。
「ミカブリ」は「箕被り」である。昔、癲癇患者が死んだ時、その葬儀の棺の上に箕を被せる習わしがあった。その意味は、この癲癇が続かぬ様にという呪術でもあったようだ。いつしか「箕被り」という言葉が、いずれ死ぬ癲癇患者を指す様になった事から、子供達に「箕は被るな!」と戒めたという。ただ何故に箕であったのかは不明である。調べると箕には、豊饒と多産に関する呪術性があるらしく、九州を中心とする西日本では嫁入りの日に花嫁の頭上に箕を戴かせたり、不妊の嫁に箕を贈る習慣があるようだが、癲癇患者への呪術とは意味合いが違う。ただ箕は竹製であるから、竹の呪力であるかもしれない。
新紀元社「神秘の道具」によると竹の節の空洞は、神霊や霊魂が宿り、この世に現れ出て来る異界であるとしている。そして「箕」は、誕生や死の儀礼にしばしば用いられるという。嫁入りの日に一升桝を入れた箕を嫁の頭に載せると記されている事から、福岡の習俗はこれなのだろう。不妊の嫁に箕を贈るのは女性の生殖と受胎に関係すると記されているが、要は「竹取物語」と同じく、月の呪力と考えても良いのだろう。となれば癲癇患者の棺に箕を被せるのは、癲癇という悪しきモノを異界に封じ込めるという意図を含んでいたのだろう。逆に箕を遺族が被り「戻れや~!」と死者の名前を呼んで、蘇らせようとする呪術でも用いられるようだ。これは、願いの言霊を箕に宿る神霊に託すのだろうか。