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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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みちのおく

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宿六を「宿の六でなし」という言い方がある。しかし「ろくでなし」の正しくは「陸でなし」が正式の様だ。「ろく」は「陸」と書き記し「平ら」、もしくは「真っ直ぐ」という意味となる。これは地平線が、平で真っ直ぐある事からきているよう。つまり「陸でない」と言う意味は、平らでない、真っ直ぐで無い事を意味していた。それがいつしか、人の性格にも重ねられ、歪んでいる物や正常ではない物が「ろくでもないもの」に転じたようだ。とにかく本来「ろくでなし」は「六」とは無関係だと知られている。

ところで陸奥は本来「道の奥(みちのおく)」に「陸奥」という漢字をあてて「むつ」になったというが、「むつ」は「六つ」という音に重なる。だいたい「道の奥」に何故「陸」をあてたのか?確かに「陸」は「道」の意でもある。「道の奥」という意味は「遠い」「僻地」などの朝廷からの視点であろうから、確かに遠い奥地という感覚から「道の奥」であったのは理解できる。しかし敢えて「道」を「むつ」とも読める「陸」に変えたのは、意図があるものかと勘繰ってしまう。
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辻などに建てる石碑に道祖神があるが、道祖神は別に"道陸神(どうろくじん)"とも云うようだ。陸は道でもあるのだが、そうなると道が重ねた表記が「道陸」で、強調の意味になるのだろうか?有り得ない表記の様な気がする。やはり「陸」には、「六」の意味を秘めている気がしてならない。画像は、青笹町の飛鳥田にある、南無阿弥陀仏と刻まれた"六道神"の石碑。これはそのまま、仏教の六道を意図した石碑である。また別に、小友町にも"冥道"として六体の地蔵が置いている地がある。それもまた、六道を意味するものである。六道は、六種の苦しみに満ちた地獄世界でもある。

「六つ」という表記は「暮れ六つ」「明け六つ」で、本来の1日は陽が沈んでから始まったものであるから、この場合は酉の刻から始まり卯の刻までという事。簡単に言えば、太陽が沈んでから昇るまでの暗闇の時間帯でもある。闇というのは魑魅魍魎が跋扈する時間帯と考えれば「陸奥」が、奥に「六つ」を秘めているならば、「六道」という冥界であり地獄の「六つ」を指すものと考えて良いのではないか。また別に岩手県には奥六郡と呼ばれる地がある。その奥六郡を統べたのが安倍氏であるが、近畿以西には七や八という聖数に溢れているが、何故か東北には六という数字が目立つと思うのは考え過ぎだろうか。

明治になってからの廃藩置県で、東北は六県となった。しかし、何故に六県にしたのだろうか?それこそ「六道」の地獄を意図しているかのよう。例えば「左遷先は東北六県の中でどこがいい?」という打診も「どの地獄がいい?」と聞いている様にも感じる。東北を、聖数の七県、もしくは八県にしても良かったのではないか。

また東北は「日高見」とも云われた。つまり陽が高みに昇る地の意味もある。そこに「六つ」という太陽が沈んでから昇るまでの音を与えたのは、一つの呪いではないかとも思える。考えてみれば、古来からの流刑地に四国がある。「し」は「死」を連想させる。「むつ国」と「し国」は、意図的に朝廷が呪いを付与したのかのよう。数字遊びのようであるが、ある意味本質を突いているのかもしれないと思ってしまう…。

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