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枉津の神

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「古事記」によれば、伊弉諾が黄泉国から帰還し穢祓をし、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二柱の神が誕生した。また「日本書紀」の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)が誕生したとしている。これらの神は黄泉の穢れから生まれた神で、"禍々しい"災厄の神とされている。本居宣長は、その禍津日神を祓戸神の一柱である瀬織津比咩と同神としているのは、天照大神の荒魂であり、荒魂は祟る神、つまり厄災を及ぼす神であるという認識に基づいてのものであったか。

ところが古代九州において、川が海岸の沖積平野に入ると干潟の上を左右に屈曲蛇行する事を"枉津"と言ったらしい。海の塩気を帯びた船や人が枉津に入ると、身も心も清められると思われたという。「まがつ」という訓に「禍」をあてると「まがまがしい」となり、恐ろしいイメージが重なるものだが、神名に"禍"を当てたのは意図的なものであったのだろうか。

「まがつ」は地域ごとに訛りが加わり、変化したと伝えられる。「まがつ」を「わうず」と読めば、更に「うおつ」に転訛したという。それが更に「おほつ」となったが、琵琶湖の大津もまた枉津の変化であったようだ。天智天皇が都を大津京にしたのはもしかして、琵琶湖に鎮座する枉津の神を信仰していたからではなかったか。

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