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紅葉という漢字は、「くれないのは」と書いて「こうよう」とも「もみじ」とも読む。しかし「万葉集」には「紅葉」よりも「黄葉」と記されている場合が多い。つまり「紅葉」よりも「黄葉」の方が古い表記であったようだ。調べると一番古くは古代中国の「礼記」の月令に「是の月や、草木黄落す。」というのが初見らしい。その後に前漢の武帝が「秋風辞」にて「秋風起り白雲飛ぶ、草木黄落雁南に帰る」と詠んだ事が、それ以降秋の色付きを「黄葉」と表記するようになり、それを日本が導入したらしい。
その後唐代となり、自然と紅葉の表記が見られ始め、白居易が、その紅葉を多用するようになり、白居易「白氏文集」が日本に伝わると、日本の平安漢詩人も注目し、その紅葉を積極的に取り入れたのが"菅原道真"であった。やはり、かなり進歩的な人物だったのだろう。そして「古今和歌集」から「紅葉」が一般的になり、現代まで続く。つまり、菅原道真がいたからこその「紅葉」であったのだろう。
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ただ、紅葉と黄葉だが、前漢時代に黄葉となった背景には、黄土平原の広葉樹の色付きが、まさに"黄落"という表現が当てはまる景色であったようだ。つまり黄葉から紅葉に変化したのも、目に入る景色が黄色よりも紅色が多かったという事もあったのか。
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例えば遠野でも、赤色が目立って染まっている場所があり、また別に黄色に染まっている場所がある。場所ごとに、紅葉と黄葉を使い分けても良いのかもしれないが、この時代「黄葉(もみじ)」表記に、なんとなく違和感を覚えるのは、既に「もみじ」とは「紅葉」と書き記すものだと定着してしまった感はある。
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又一の滝までの遊歩道は、紅葉ではなく黄葉の小道となる。黄色に染まる遊歩道を楽しみながら、又一の滝に到着するのが一興。
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まあ紅葉が、古代は黄葉だとしても、どちらでも良いのかもしれない。紫式部は、こう述べている。「春秋のあらそひに、むかしより秋に心寄する人は数まさりける」と。歌に詠われる季節は春よりも圧倒的に秋が多い。つまり、桜よりも黄葉に平安人は、心奪われたようだ。「拾遺和歌集」に、「春はただ花のひとえに咲くばかり 物のあはれは秋ぞまされり」と詠まれているのは、当時の流行は"もののあわれ"であったのだろう。だからこそ、桜の咲くや咲き乱れるという生命の息吹を感じる事象よりも、山の奥から色染まって行く、生を振り絞って枯れ果てる際の鮮やかな一瞬に、もののあわれを感じ称賛したのかもしれない。平安時代末期には末法思想が広がるなどした事からも、平安人は死を常に意識し、日常に組み入れていたのだろうか?だからこそ、もののあわれを感じる紅葉に、心寄せたのかもしれない。