
上郷村大字佐比内、赤沢の六神石神社の御本尊は、銅像にしてもと二体あった。昔から金の質が優れて良いという話であったが、一体はいつの間にか盗まれて無くなり、一体ばかり残っていた。その一体もある時盗み出した者があって、これを佐比内鉱山の鉱炉に入れて、七日七夜の間吹いたけれどもどうしても溶けないので、盗人も恐れ入って社に返して来たという。今もある御神体が即ちそれである。
「遠野物語拾遺129」
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佐比内(サヒナイ)の「サヒ」は、「鉄」の意味から来ている地名である。また、赤沢という地名も、鉄や水銀の産出する地の土は、赤土が多い事から、赤の付く地名が多い。赤沢は、それが滲み流れる沢の意であろう。
佐比内鉱山の歴史は「佐比内鉄鉱山遺跡発掘調査報告書」によれば、嘉永五年(1852年)に、西閉伊郡上郷村大字佐比内鎌ヶ峰に鉄鉱を発見し、同六年に高さ三尺の鉱炉を等設立したと記されている。しかし明治時代七年に、佐比内鉱山を経営していた明治新政府の財政を支えていた豪商の小野組が破産してしまい、それから昭和時代の戦後の開発まで、佐比内鉱山は眠っていたようだ。となれば、この「遠野物語拾遺129」での鉱炉で銅像の御本尊を溶かそうとしたのは、明治七年以前の話であろうか。もしくは、鉱山経営が停止した明治七年以降に、その鉱炉の使い方を知っている者が密かに、佐比内鉱山の鉱炉に忍び込み御本尊を溶かそうとした可能性も考えられる。
また「遠野物語拾遺129」の文中に「吹いた」と記されているのは、佐比内鉱山では嘉永六年に高さ三尺の鉱炉に「日本吹子」で送風したとあり、鞴で風を送る事を「吹く」と表現する事から来ている。日本吹子は、鞴(フイゴ)=吹子(フイゴ)であり、それを女性的な愛称として表現したものだろうか。

「七日七夜」という記述が気になる。例えば「聖書」では、神は6日間で全てのモノを造り、七日目は休んだ事から一週間は七日に設定されている。また「日本書紀」では「神代七代で始まる国」と評するように、七と言う数字は神的であり「七日七夜の間吹いた」との表現は、神話的であり、意図的に作られた話のようである。この意図的とは、やはり六神石神社の御本尊とは、奇跡をもたらす尊い像であると、権威付けの作り話ではなかろうか。