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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺99(天狗の衣)」

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遠野の町の某という家は、天狗の衣という物を伝えている。袖の小さな襦袢のようなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗に似ている。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔この家の主人と懇意にしていた青六天狗という者の著用であったという。青六天狗は伝うる所によれば、花巻あたりの人であったそうで、おれは物の王だと常にいっていた。早池峯山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著いて見ると知らぬ間に既に先へ来ている。そうしてお前たちはどうしてこんなに遅かったかと言って笑ったそうである。酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それにいくらでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代にはよく錆びた小銭を以て払っていたという。この家にはまた天狗の衣の他に、下駄を貰って宝物としていた。右の青六天狗の家と呼んでいる。この家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んでいたことがある。この女は夜分いかに厳重に戸締りをしておいても、どこからか出て行って町をあるくまわり、または人の家の林檎園に入って、果物を採って食べるのを楽しみにしていたが、今は一ノ関の方へ行って住んでいるという話である。

                                                    「遠野物語拾遺99」
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これは「注釈遠野物語拾遺(上)」に詳しく書かれている。まず「花巻温泉ニュース」に、下記の様な記事が掲載されていたようだ。

花巻温泉から台温泉へ行く途中に、同地名物で偉大な体躯の八将神万人供養碑がある。発願主・鎌田甚兵衛、明治二十五年(1892)作と刻す。甚兵衛は台温泉の産、聞こえた羽黒修験道の行者で、その異様な服装からでもあろうか、甚兵衛天狗?々々と呼ばれた。又、人によっては”清六天狗”と呼ぶものもあった。甚兵衛の長男に鎌田千代吉は万延元年(1860)生れである。彼は慶応元年六歳のとき、父の仲間である一関の清六天狗に連れ去られ、諸国を遍歴の後、二十歳で台に戻った。その後は木地師、鍛冶屋、石工として活動した。

甚兵衛自体が清六天狗と呼ばれ、その甚兵衛の仲間も清六天狗と呼ばれているのは、周囲の混同によるものだろう。そして「一関市史 第四巻(天狗の角力取場)」も、下記の様に紹介されている。

文政年間に中里の下町に清六という者がいて、幼少の頃突然神隠しにあったように姿が消えた後しばらく経って、ぼんやりした顔をして帰って来た。八丈島へ天狗に連れられて行ってきたという。(略)・・・日頃足駄を履いて歩き、くだんの天狗祭にも出て角力を取ったりするということである。諸国の有名な山々の状況をよく知っていながら途中の事はまったく知らず、天狗の背におぶさって歩くから知らないという事で、世間では清六天狗と呼んでいたという事である。

どこまで正確かはわからぬが、この「花巻温泉ニュース」と「天狗の角力取場」を続けて読めば清六天狗とは、一関生まれの清六であり、それが花巻の甚兵衛の仲間であったという事だろうか。ただ甚兵衛もまた清六天狗と呼ばれた事から、一関の清六天狗と花巻の甚兵衛天狗の混同がそのまま遠野に伝わったのだろう。遠野は、一関との交流が少ない事から、遠野に訪れ、天狗の衣を置いて行った天狗は花巻の甚兵衛天狗であろう。

一関の清六が神隠しに遭ったと記しているが、遠野に伝わる朝日巫女もまた、小さな頃に神隠しに遭い、霊力を見に付け成長した姿で戻ってきている。真実は何とも言えぬが神隠しの正体は、清六天狗も朝日巫女も、口減らしの為に山伏や神子に預けられたのかもしれない。

ところで、十六弁の菊紋は、皇室の紋になっているが、明治時代に一般の使用を禁じているが、江戸時代では徳川幕府の葵の紋以外の使用は自由であったらしい。では何故に菊紋なのかは、恐らく仙人思想と繋がるのではなかろうか。菊の酒や菊水は不老長寿と結び付くのは、古代中国から伝わった伝説から来ている。そして、菊の着綿というものがある。菊の花に覆い被せた真綿であり、この綿に移した菊の花の露で、顔や体を拭うと、不老長寿を保つと云われる。その不老長寿が、病除けになったよう。その菊着綿を置く時に、こういう歌を唱えると言う。

仙人のおる袖にほふ菊の露 うちはらふにも千代にはへぬらぬ

そう、仙人の袖には菊の露が付いていて、病気平癒を祈願する者でもあった。思うに、菊の花とは、大地が冬枯れする前に咲き誇る花であった為、それが命の復活、病気の回復にも信じられたのかもしれない。実際に、山に長けていた山伏は薬草などにも詳しく、民間医療の中心に立っていた。その山伏であり天狗の衣に菊の花の紋が織り込んでいたのは、山に棲む者として、医療を含む仙人の術に長けているという証であったのかもしれない。

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