$ 0 0 創建は建武年間(1334~1335)阿曽沼朝綱の時、城の鬼門に当たる宮代に城の鎮守として八幡宮を勧清し崇敬した。そして南部氏が寛文元年(1661)に八幡宮を現在の踊鹿山に遷宮した後、荒廃していたが明治以降に復興され現在に至る。 境内は、思ったより広く、例祭の際には地域の人々が大勢集まるようだ。 気になったのは社殿の脇に建っている金毘羅の石碑三塔。社殿に近すぎて、見る為には社殿に背中を付けないと見る事が出来ない。恐らく金毘羅の碑が先で、後から社殿を建てた時に、間隔を気にせずに立てたのだろうか?