
遠野町の某、ある夜寺ばかりある町の墓地の中を通っていると、向こうから不思議な女が一人歩いてくる。よく見ると、同じ町でつい先頃死んだ女であった。驚いて立ち止まっていろ処へ、その女がつかつかと近づいて来て「これを持っていけ。」と汚い小袋を一つ手渡した。手にとって見るに何か小重たい物であった。恐ろしいから急いで逃げ帰り、家に来て袋を開けて見ると、中には銀貨銅貨を混ぜて、多量の金が入っていた。その金は、幾ら使っても無くならず、今までの貧乏人が急に裕福になったという話しである。これは俗に幽霊金といって昔からままあることである。一文でもいいから袋の中に残しておくと、一夜のうちにまた元の通りに一杯になっているものだと言われている。
「遠野物語拾遺137」
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この「遠野物語拾遺137」と似た様な話が、福島県は旭村にあった。
ある男が丑の刻参りの満願の日、山道で乱し髪の女に会い、赤子を抱いてくれと頼まれた。抱いてやると、髪を梳き終わった女は、「種銭さえ残しておけばいくら使ってもなくならない」お金を差し出し姿を消した。これがオボダキ幽霊で、男は大変な金持ちになった。
幽霊から貰った物は、お金の入っている汚い小袋と種銭の違いがあるが、どちらも種銭だけ残しておけば減る事が無いという。また他にも少し違うが、幽霊にお金が埋まっている場所を聞いて金持ちになった話などがある。
昔観た映画「怪談牡丹燈篭」では、欲深な夫婦が幽霊にお金が埋まっている場所を聞き出し、それを掘り起こしたら盗賊の隠した金であり、それが盗賊に見つかり殺されてしまう。幽霊とはお金を造る錬金術師ではなく、生前であり、そして死後も人々を見続けた結果として、人の秘密を知っている場合がある。その秘密の一つが、こっそり隠したお金だったりするのだろう。それを生者と接する事により、それを教えて福を与える存在にもなる。夢告なども、似た様なものだろう。神や仏、観音様や菩薩様。そして幽霊などが生者の夢枕に立って、御告げをする。魔性の者から臼などを貰ったり、マヨヒガの話の様に、マヨヒガで与える筈だった椀が河上から自ら流れて来たり、福を授かる者達は結局、どうやっても福を授かる様になっているようだ。
ところで、遠野の新町から大工町にかけては寺町通りとも呼ばれるように、お寺が密集している。その中に、霊の通り道があると云われている。その通り道で時刻が一致すれば、霊と遭遇出来ると云うが、果たしてどんなものであろうか。