
葬式に行って野辺で倒れた人は、三年経たぬうちに死ぬといわれるが、これには例外が多いそうな。佐々木君の知人も会葬の際に雪が凍っていた為に墓で転んだことがあってその後三年以上経つが、依然として健康だということである。
「遠野物語拾遺265」
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「遠野地方のむらことば(第二集)」によれば、墓で転べば死ぬというものはなく「墓で転べば、大きな怪我する。」と伝えられている。死ぬ迄はいかぬとも、墓地という負の場所である為か、そこで転べば精神的作用も及ぼして、酷い怪我になったのではないか。「注釈遠野物語拾遺(下)」を確認すると、この「遠野物語拾遺265」に関しての解説は皆無だった。つまり、遠野ではそれほど重要視していない事柄なのかもしれない。ところで、葬式に関する諺などがいくつかあるので紹介しようと思う。
1.「葬式を馬に見しぇな。」(葬列の出る時は厩をふさぐ)
2.「葬式サ行ぐ時ァ初着すて行ぐもんでぁねぁ。」(死人は初着で旅断つ)
3.「葬式の時、列から戻ったり、後振向ぐな。」(不明)
4.「葬式の帰りにぁ、必ず行った道戻れ。」(重要なものだから手落ちや事故防止)
5.「葬式の知らしぇにぁ、必ず二人でありげ。」(手落ちの無い様に)
子供の生まれる時に、馬を引いて山神を乗せる習俗があるが、死に関するものは馬を避けるのだろうか。
初着に関しては、例えば葬式に白い服を着て行くと死人が仲間だと思って寄って来るから黒服を着ろというものに近いのだろう。つまり死人と同じ格好をするなという事か。
葬式は、人生最大のイベントであると云われるのは葬儀屋の策略の様な気もするが、確かに一生に一度だけのイベントである。ネイティブのインディアンの言葉に「僕が生まれた時、沢山の笑顔を皆が迎えてくれた。だから、僕が死ぬ時も沢山の笑顔で送り出して欲しい。」という様なものがあるが、人生のイベントは確かに生れた時と、死ぬ時である。日本であれば、生まれて名前を付け、死んだ時には戒名を付ける。その人に対して名前が付けられるのは、生まれた時と死んだ時というのはまさに、この世と接する為のイベントでもある。そのイベントに参加する人達は、その人を称える為に手落ちの無い様努力したのだろう。