
山口村の吉兵衛と云ふ家の主人、根子立と云ふ山に入り、笹を苅りて束と為し担ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心付きて見れば、奥の方なる林の中より若き女の稺児を負ひたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。極めてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結び付けたる紐は藤の蔓にて、著たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりぼろぼろに破れたるを、色々の木の葉などを添えて綴りたり。足は地に著くとも覚えず。事も無げに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方へか行き過ぎたり。此人は其折の恐ろしさより煩ひ始めて、久しく病みてありしが、近き頃亡せたり。
「遠野物語4」
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この謎の女は「縁女奇譚」によれば、三年前に死んだ筈の、美しいオリエという女であったそうだ。つまり、歩いていたのは死体であったか、幽霊であったかという事になる。子供をおんぶしているが、相手に対して子供を抱っこしてとも何も言わず、接しようとしない事から「ウブメ」や「子育て幽霊」の系統からは外れてしまう。小松和彦「日本怪異妖怪大事典」には、宮城県で幽霊と遭遇し体調を崩した話が紹介されている事から、それに近いものだろうか。ただ、遠野の綾織に聳える二郷山には、見ただけで死ぬと云われるものが三つまで紹介されている。この「遠野物語4」においても、その恐怖により煩い死に至っている事から、二郷山の系譜に近いものなのか。或は、この遭遇した吉兵衛がこの死霊であるオリエと生前、何等かの因縁があった為に、それが心に重くのしかかった末の死であったろうか。これが怪談話となれば、祟り殺されたと語り継がれそうな話でもある。やはり吉兵衛とは、浅からぬ因縁があったのではなかろうかと思えてしまう。語り部である90歳を過ぎる白幡ミヨシさんは、この話は現実に伝えられた話だとしている。
ところが、菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」には、より詳細な事が書かれてあった。実はこのオリエ、死んだとされて土葬にされたが、途中で息を吹き返し、自力で墓から脱出した女であったようだ。
「一度、土の中に埋められた者は、二度と村には帰れないと言われた。山からは、出ない。私を見た事を、誰にも話さないでください。」
人間の死の確認は、医者を呼ぶと言う時代では無かった為、その村の者が素人判断で死亡を認定していた時代であったようだ。だからこそ、仮死状態で埋葬され、生返った者もいる中、息を吹き返しても誰にも知られず棺桶からの脱出もはばからず苦しんで死んでいった者達もいただろうされていた。実際に、暫くした後に棺桶を掘り返した時、その棺桶から首や手を出していた仏さんがいたという事だ。
土葬の穴を掘る役をやった者達の証言には「百人のうち二、三人は生返る者があったのではないか。」と語っている。その昔、人間の死というものは、曖昧な基準の上に成り立っているようであった。だからこそ、現代では医者の判断の元に人間の死が認定されるのも、過去のこういう出来事があったからなのだろう。しかし、それよりも恐ろしいのは、一度死んだ人間に対する差別感ではなかろうか。つまり、一度死んだ人間は、もう生きている人間ではない。もしかして、死者が生き返った者とは、生前の本人とは違う恐ろしい存在では無いかとのとの疑念が、極端な迷信を生み出した。だからこそ、オリエの言う「二度と村へは帰れない。」という発言に繋がるのだろうか。それ故に、生活の場を失った者達は、山で暮らすしか無かったのかもしれない。