
佐々木君の幼少の頃、近所に犬を飼っている家が二軒あった。一方は小さくて力も弱い犬であったが、今一方の貧乏な家で飼っていたのは体も大きく力も強かった。近所の熊野ノ森に死馬などが棄ててあると、村の犬どもが集まってそれを食ったが、この小犬は他を恐れてそこに行くことが出来ないで、吾家の軒から羨ましそうに遠吠えをしているばかりである。これを大犬が憐れんで、常にその肉を食い取って銜えて来ては与え、小犬も喜んでそれを貰って食った。しかしこの大犬を飼っていた家は、もともと貧しかったから犬の食事も充分に当てがわれなくて、平常腹を空らしていることが多い。小犬はそれを知っていて、毎日自分に与えられる食事をしこたま腹の中に詰め込んで来ては大犬の傍でそれを吐き出して食わせていた。一度食った飯であるから、人が見ては汚くてならないが、大犬は喜んで食べた。じない(いじらしい)ことだと言って、村中の者の話の種にしたという。
「遠野物語拾遺216」

死馬が棄ててあると記されているが、各村毎に死んだ馬を捨てる「馬の卵場」というものがあった。その馬の卵場には狐なども集まって、死肉を漁っていたという話を聞く。しかしそれらから死体を守る為に刃物を立てていたというが、果たして効果があったのだろうか。最近北海道で、ハンターに撃たれたエゾシカが処分されずに放置されている為、その肉を食い漁ったキタキツネが肥満化しているというニュースがあった。しかし、この時代の馬はそれほど頻繁に死んで棄てられたわけでもないだろうから、野犬や狐にとって、たまに振る舞われる御馳走であろうか。
ところで画像は、その死馬が棄てられた熊野ノ森だが、「遠野物語拾遺124」によれば、魔所として呼ばれている。熊野ノ森の中には粗末で古びた熊野神社があるのだが、既に信仰が廃れたのか、人が管理している状態ではない。死馬が棄てられる様になったのは、既に人が行かなくなったからだろう。そして、死馬が棄てられる様になった為、こうして野犬を含めて獣が集まるようになった為に、危険だという事から"魔所"の認定が成されたのではなかろうか?死馬だけでなく古代には、土葬された人をも食べてきた犬だった。「日本書紀(垂仁天皇28年)」では、倭彦命を葬った後「犬烏聚りはむ」とあるから、昔から死肉には野犬となった犬は群がっていたのだろう。恐らく、野犬が死体を掘り起こして、後から烏が寄って来る構図なのだろう。熊野神社のある熊野ノ森であるから、烏はつきものか。確かに、その情景を目の当たりにすれば、魔所となるのは当然なのか。ただ、犬も烏も生きるのに必死であるから、これは仕方ない事であろう。
「犬畜生」という言葉がある。「畜生」とは、苦しみ多くして楽少なく、性質無智にして、ただ食・淫・眠の情のみが強情で、父母兄弟の区別なく互いに残害する人間以外の禽獣虫魚など生類を云う。これらから昔は、畜生と同じ屋根の下で暮らすのは有り得ないという事があった。しかし、遠野で有名な曲家は、馬という畜生と暮らしている。これは江戸時代になって、狼が狂犬病にかかり、今まで山の獲物しか捕らなかった狼が、馬や人間を襲うようになった。その為、大事な馬を守る為に、同じ屋根の下に住まわせ保護した事から始まる。しかし犬は家の中には入れて貰えず、軒下で暮らすのが普通だった。そして、紐で繋いで置くのではなく、出入りが自由だったのは「遠野物語拾遺216」の記述からもわかる。
これは現代の話だが、琴畑の集落の外れを通る時、気を付ける事が一つある。車である家の前を通る時、吠えながら向ってくる犬がいる。こちらは車であるから、急に飛び出しても車で轢かないよう気を付けるのだが、これは恐らく獣対策から放し飼いにされているのだろう。普通の街で、犬を放し飼いにすると、いろいろ問題が起きるのだが、孤立した集落であれば、犬も集落の一員となるので、咎める人は誰もいないのだろう。つまり、獣も含め余所者をも見分ける事の出来る犬だと思われる。そういう意味で「遠野物語拾遺216」の犬も放し飼いになっているのは、佐々木喜善の住む山口という集落でも同じような感覚で犬が飼われていたのではなかろうか。
人間が勝手に「犬畜生」という言葉を造っても、「遠野物語拾遺216」の話の様に、こうして犬にも人情というものがあるのがわかる。人に仕える犬だから、それが人間だけでは無く、同類の犬に向けられてもおかしくはないだろう。つまり「犬畜生」という言葉は意味の無いもので、犬にも情があり、恩というものを忘れない動物という事だろう。だからこそ、縄文時代から犬は人間の友であった。縄文の遺跡から埋葬された人間の傍に犬も埋葬されていた事実を知ると、まさにそうであろう。ただ、弥生遺跡からは、そういう事が無く、逆に食べ物の棄てられている場所から発掘されていた。それを考えると弥生の遺跡がほぼ無かった岩手県では、犬は大事に扱われていたのだろうと安堵してしまう自分がいた。