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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺277(七草の唱え)」

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正月は三日が初不祥の悪日であるから、年始、礼参りなどは一日二日で止め、この日は何もしないでいる。そのほかの正月の行事、または七草などの仕方は、他の地方とあまり変らない。七草を叩く時に唱えごとは、

どんどの虎と、いなかの虎と、渡らぬさきに、なに草はたく。

というのであった。

                                                   「遠野物語拾遺277」
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三日が初不祥の日と云うのは本当の様で、三日の昨日、店を開けて仕事したら、腰が痛くなってしまった…。

ところで「注釈遠野物語拾遺 下」によれば、「どんどの虎」とは「唐土の虎」を意味しているという。資料として遠野の各町村史を引き合いに出しているが、「とうど」としているのは土淵と附馬牛で、それ以外は「どんど」「とんど」であるようだ。また、甲子や田野畑村では「虎」ではなく「鳥」となっているようで「唐土の鳥」となっているよう。そして他地方も含めれば「鳥」が一般的であり、遠野地方だけが「虎」となっているのは何故だろうと疑問を呈している。

また別の疑問もわくのだが、「唐土」を「とうど」と発音するのではなく「もろこし」が一般的ではなかろうか?「注釈遠野物語拾遺」では「どんど」は、七草を叩く時のリズムを表す擬声音にもなっていると紹介しているが、それならば物を叩く「ドンドン」が最初で、「とうど」「とんど」は後付けとなるのではなかろうか?

確かに調べると、江戸時代には七草を包丁でとんとんと叩いて調理する時「草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬ先に」という歌を歌っているようだ。正確には、まな板の上でトントンと調子よく七草を刻むのを「七種囃子(ななくさはやし)」と呼び、包丁の背やすりこ木でドンドンと叩く場合は「薺打つ(なずなうつ)」もしくは「七草打(ななくさうち)」と云うようだ。となれば「遠野物語拾遺277」のは「七草打」なのだろう。この「七草打」は、炊き立ての白粥に叩いた七草を散らすと、七草の香りがほんのり立ち上り、それは若菜の息吹で、万病から逃れられるとされると伝わる。つまり正月に汲む若水の植物バージョンが七草打なのだろう。若水は邪気を祓うとされるが、七草打も万病除けである事から邪気祓いとなる。その特徴が叩く事によって、その七草の香りが立ち上がり、それを息吹と捉えている事だろうか。

沿岸で虎舞が盛んなのは、虎が風を司るものであるから帆船時代に風が吹いて豊漁であるようにと願い、虎舞が舞われた。虎の代用として猫がいるのだが、九州や北陸では、猫が風を起こすと信じられたのは、やはり虎と結び付いているからだろう。息吹は呼吸であり風でもある。素戔男尊がその息吹で宗像三女神を誕生させたように、神の息吹には新たな生命を誕生させる力がある。恐らく遠野では鳥が虎に変わったのは、その息吹という概念が虎と結び付いた為ではなかろうか。何故なら虎は毘沙門天の乗る獣でもあり、邪気祓いには適しているからだろう。

また七という数字は聖数である。例えば琵琶湖から京都に発生している七瀬の祓所の大元は、比叡山である。比叡山は妙見の降り立った地である事から、北斗七星の七と祓所が結び付いた信仰であろう。沖縄ではその北斗七星を漢字七つに分解して紙に書いて門口に貼るマジナイがあるのも、北斗七星は人の生死を司り、それは天帝の持つ邪気を祓う剣をも意味している事から、邪気祓いと七という数字が強く結び付いている。

「転ばぬ先の杖」ではないが、渡らぬ先の七草叩もまた、その一年の健康を願って転ばぬようにと願う杖なのだと理解できる。それを「どんど」とリズム良く楽しく叩く事によって、これも邪気祓いとしているのではなかろうか。そう、笑う門には福来るである。つまり歌の意味よりも、楽しく笑いながら息吹を感じて一年の無病息災を願う行事であるのだろう。

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