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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺155(仮死状態)」

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先年佐々木君の友人の母が病気に罹った時、医師がモルヒネの量を誤って注射した為、十時間近い間仮死状態でいた。午後の九時頃に息が絶えて、五体も冷たくなったが、翌日の明け方には呼吸を吹き返し、それが奇蹟の様であった。その間のことを自ら語って言うには、自分は体がひどくだるくて、歩く我慢もなかったが、向うに美しい処があるように思われたので、早くそこへ行き着きたいと思い、松並木の広い通を急いで歩いていた。すると後の方からお前達の呼ぶ声がするので仕方なしに戻って来た。引き返すのが大変嫌な気持ちがしたと。その人は今では達者になっている。

                                                    「遠野物語拾遺155」
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危篤状態で生死の境を彷徨い、呼び戻す声に意識が戻る話は、かなり伝えられている。肉体から魂が抜け出し、一時の死を肉体が体験するのだが、魂が再び肉体に戻れば蘇生するという話だ。魂は、髪の毛の先端や、口や鼻の穴、耳の穴からも抜け出すものと信じられていた。例えば「徒然草 四十七段」には「ある人、清水寺へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、」とある。「くさめ(嚏)」とは「くしゃみ」であり、くしゃみの勢いで魂が抜けださないよう「くさめくさめ」と呪文を唱える俗信が「徒然草」の時代には、既に定着していたようだ。「生き物」は本来「息者」とされていた。実際「息」とは「生き」の名詞形となっている。息をする口や鼻から魂が抜け出すと思われたのは、人間の呼吸と密接な関係があると思われたからだ。

「旧約聖書」でも、土人形に神が息吹を鼻から吹き込んで人間となったとあるし、「古事記」でも息吹から宗像三女神が誕生している。古今東西、息吹によって魂が注入され、人間となったと信じられているようだ。だからこそ、その逆によって魂も簡単に抜け出すと信じられていた。しかし、抜け出した魂は、肉体の一部と繋がっていると。だから、呼べばそれに答えて、魂は戻ってくると。それを「魂よばい」とも云われ、生死を彷徨っている人に向って名前を呼ぶという行為は、民俗学的だけではなく医療学的にも有効な手段であるようだ。古代中国では、人が死んだ場合、その家の屋根に上って大声で、その人の名前を叫ぶという。それは屋根が地上よりも高い位置にある為に、抜け出た魂により近くなると考えられたからであった。「魂よばり」し「名前よばり」でもある。人というものは、名前を大事にしているものだから、どんな雑踏の中でも名前を呼ばれたと思ったら、どうしても振り返ってしまうもの。名前は一つの言霊の呪文である。だからこそ、昔は名前を教えはしなかった。清少納言や紫式部の本名が未だに知られていないのは、その時代は本名を知られるのは、結婚する相手か、呪術に使われる場合であった。だからこそ、本名は常に隠していた時代でもあった。「西遊記」で金角・銀角の使用した瓢箪は、呼びかけた相手が返事をすると吸い込む物。つまり、簡単に名前を知られてしまうと、魂を吸い取られる物としての呪具が瓢箪でもあったようだ。「遠野物語拾遺155」では肉体が瓢箪の代わりとなって、名前を呼んだ事によって魂が肉体に吸い込まれ戻った形となっている。ただ臨死状態は、世の中の苦を抜け出している為なのか、余程心地良さそうではあるので、そこに彷徨う人の魂を呼び戻すには、余程の気持ちを込めなくてはならないのだとも感じる。

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