
十二月は一日から三十日までに、ほとんど毎日の様に種々なものの年取りがあると言われている。しかしこれを全部祭るのはイタコだけで、普通には次のような日だけを祝うに止める。すなわち五日の御田の神、八日の薬師様、九日の稲荷様、十日の大黒様、十二日の山の神、十四日の阿弥陀様、十五日の若恵比寿、十七日の観音様、二十日の陸の神(鼬鼠)の年取り、二十三日の聖徳太子(大工の神) の年取り、二十四日の気仙の地蔵様の年取り、二十五日の文殊様、 二十八日の不動様、二十九日の蒼前様等がそれで、人間の年取りは三十日である。
「遠野物語拾遺275」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
画像は、田の神神社の神像。2014年の今日、12月5日は田の神の年取りとなるようだ。田の神は、山の神が山から下りて来て、田の神となるのは丁度、春の田植え時期に重なる頃である。また田の神は6月1日の馬っこ繋ぎと結び付いて信仰されたが、これは山の神の乗り物である馬に乗せる為でもあった。

画像の田の神の神像と山神の神像の作者が同じ為か、顔は同じで衣装を代えただけに思える。しかし実際にも、山神と田の神は同一神なので、意図的に同じ顔にしたのだろうか?桜の咲く頃に田植えを初めると共に、日本人はお花見を楽しむ。そして秋の収穫の時期になると月見を楽しむと同時に、紅葉をも楽しむ。春の田植えと花見、秋の稲刈りと月見は、対局と成る農事のセットとなる。桜の咲く春に、山から山の神が降りてきて田の神に変わる。そして、秋の紅葉の時期に山へと帰り、山の神となる。つまり山の神は、田の神でもあるという事。陰陽五行で言えば、春は東であり、秋は西となる。つまり山の神は東から現れて西へと向かう。桜が、朝日の爽やかな赤を現すなら、秋の紅葉は夕日のしっとりした赤を現すのか。神像の衣装の違いは、春と秋の彩の違いでもあるのかもしれない。この神の年取りは、人間の様に年を取るというよりも、人々の想いを毎年重ねていくものである。また来年の春には、新たに生まれた田の神が登場する。年を経るたび人は世代を代え移り変わっていくが、神だけは人と共に常に新たな命で永遠に生き続けるものである。