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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺67(神通力)」

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附馬牛東禅寺の開山無尽和尚、ある来迎石の上に登って四方を見ていたが、急いで石から降りて奴の井の傍に行き、長柄の杓を以て汲んで、天に向って投げ散らすと、たちまち黒雲が空を蔽うて、南をさして走った。衆人たちはそのわけを知らずただ不思議に思っていると、後日紀州の高野山から状が来て、過日当山出火の節は、和尚の御力によってさっそくに鎮火し誠にかたじけない。よって御礼を申すということであった。

                                                     「遠野物語拾遺67」
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今でも東禅寺跡の無尽堂傍に来迎石はある。別に影向石とも云うが、かってこの石に早池峯大神が降り立って、開慶水を無尽和尚に与えた場所でもある。俗に、石に降り立つのは男神で、樹木に降り立つのは女神であるとも云われるが、それは山神を意識したもので、未だに山神は男神なのか女神なのか定かでは無いところから発生した俗信であるようだ。

そして、伝説の東禅寺は臨済宗であるとの伝えだが、大川善男「遠野の社寺由緒考」では、東禅寺は礎石などから判断し天台宗であると述べている。また、この「遠野物語拾遺67」では、真言宗である高野山と深い繋がりがあるような記述になっている。遠野早池峯妙泉寺もまた、天台宗から真言宗に移り変わった様に、伝説の東禅寺もまた天台宗から真言宗へと変わったのかもしれない。大川氏曰く、この東禅寺は本来、早池峯妙泉寺の里寺では無かったかと述べているが、それがそのまま当て嵌まるのが、この「遠野物語拾遺67」ではなかろうか。

ところで、無尽和尚が来迎石の上に立つという行為は、神と一体になるという事だ。つまり、神に通じて高野山の火災を察知したのだろう。つまり、一つの神通力を来迎石によって得たという事になる。また、奴の井の水を長柄の杓で天に向って投げ黒雲を発生させ南へ走らせたとの事も、奴の井そのものは早池峯山頂の泉を分けたものであり、早池峯大神は竜蛇神でもある事から、その龍神の成せる雨乞いの業を無尽和尚が使ったという事だろう。これもまた神通力であろうから、全て東禅寺を開山し、早池峯大神の加護を受けた無尽和尚ならではの伝説だろう。

ちなみに、文中の「奴の井」は「杈の井」の間違いである。

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