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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺52(阿修羅)」

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又同村柏崎の阿修羅社の三面の仏像は、御丈五尺もある大きな像であるが、此像をやつぱり近所の子供等が持ち出して、阪下の沼に浮べて船にして遊んで居たのを、近くの先九郎どんの祖父が見て叱ると、却つて阿修羅様に祟られて、巫女を頼んで詫びをして許してもらつた。

                                                     「遠野物語拾遺52」

土渕水内と土名鶉子の境界に阿修羅堂があり、里俗方言で「アシュラゴォ」と呼ばれていたようだが、現在は「オアシャラサマ」と呼ばれているようである。実はこの阿修羅像、もしかして木喰仏としての可能性が高いと云われている。安永九年に木喰上人が遠野の綾織と土淵の柏崎で泊まったとの記録がある事と、柏崎で仏像を安置したのがこの阿修羅堂であるらしい事からであった。

この阿修羅像は昭和50年頃に、御堂の改築工事の為一時福泉寺に預けていたそうだが、住職によって彩色されて、上の画像の様にケバケバしくなってしまった。ただ、阿修羅像が安永九年に彫られたものであったも、この阿修羅堂はそれ以前からあったようである。小高い場所に建てられて阿修羅堂の下には昔沼があったという。その沼の伝承では、その沼の神は常に付近の民家で飼育している牛馬鶏を捕えて食べ、それでも満足しない時は、苗代を荒らして、水田を枯らしたという。それから毎年、各家より苗を三把づつ沼に投じ、沼の神に捧げる風習が出来たという。そして、それを怠った者には神罰があったという。そして、沼に投じた苗は、秋に所を異にして顕れたという事から、豊穣の神として祀られたのだろう。伊能嘉矩は、足洗川を「アシラガァ」と呼ぶ事から、先に紹介した里俗方言「アシラゴォ」を同じでは無いかと考え、それを安倍一族と結び付け、胡四王の転ではないかとしているが、それは無理があるだろう。ただし、足洗川と阿修羅が元を同じとする考えは有り得るのではなかろうか。

足洗川は、安倍貞任の馬の足を、もしくは源義家の馬の足を洗ったから"足洗川"という、取ってつけた様な伝説になっているが、今と違って昔の川の殆どが暴れ川であった事を考えれば、まるで「阿修羅の様な川だ。」という命名の可能性はあるだろう。ただし、足洗川は小烏瀬川の支流であり、水源を阿修羅堂近辺には求めていない。ただ沼の主の信仰が川に及んだと考えれば、足洗川の語源が阿修羅堂下の沼に求めてもおかしくはないだろう。恐らく、牛馬鶏を食べ、苗代・水田を荒らしたというのは川の氾濫に他ならぬものであり、その大元の神の生息地が阿修羅堂下の、別名人喰沼であろうから。

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