
遠野七観音三番目の札所になっている平倉観音。本尊は十一面観音。草創は承和元年(834年)と伝えられている。自覚大師が彫った十一面観音と伝えられるが、遠野に自覚大師が来たとの確定は出来なく、あくまでも伝承となる。また、その伝承だが、この十一面観音は、附馬牛の沢の口の松の木から彫ったとの説と、物見山の桂の木から彫ったとの説があり、それも定かではない。ただ、本来の本尊は野火によって焼失し秘仏として内陣奥に納めているという。その材質を調べれば、ある程度の目安は付くのであると思う。

この画像の観音像は、延享元年(1744年)に、赤羽根源七が寄進したものという。

観音堂の内部。

入り口手前には、御手水と一緒に石板に刻まれた不動尊があった。

観音堂の奥にある小さな建物は、稲荷社となる。