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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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たましいの歩く街

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「遠野町古蹟残映」に「たましいの歩く街」という記事がある。内容は、下記の通りである。

「遠野町の一日市の下角、大工町と鍵町、新町と続く所に、旅館がある。遠野町の西側一帯の地に寺院が八か寺もある。遠野の人達が死亡すると必ず、ここを通りそれぞれの檀家寺に納ることになっている。霊魂も同じようである。旅館の仏間に就寝しているお婆さんに真夜に仏達が立ち寄る、お婆さん独り言、「くやくやと」一晩語る声がすると必ず誰かが死んでいた。また昭和十九年頃のことである。遠野町の政界を二分していた一方の雄、M氏が死去したので、その旨を、常に政治的に対抗するK氏も病気で伏していたのでM氏が死亡したのを告げると、昨晩M氏の霊魂が寺に行く途中、立ち寄り、「一緒に行くべ」と言うから、私はまだ行かれないと言ったら淋しく立ち去ったと、既にM氏は死亡を知っていた。」


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新町という名が出て来るが、新町は寛永四年(1627年)に「多賀の里」及び「六日町」と「一日市」とを結ぶために「新町」を作ったとされる。ところで、その新町には私の檀家である時宗の常福寺がある。新町からその常福寺への入り口のところに、以前はT医院があった。そしてそのT医院が建つ以前は、今は無くなった菊善工務所の一族が住んでいた。元々の土地の所有者は、どうなのかわからないが昭和40年代になり、遠野市で利用するので菊善工務所の一族はその住んでいた土地から立ち退き、代わりに建ったのがT医院だった。


ところで菊善工務所一族が、そこに住んでいる時に、頻繁に幽霊を見たそうである。冒頭の「たましいの歩く街」の解説にあるように、霊魂もそれぞれの檀家の寺に集まって来ていたのだろうか。もしかして、菊善工務所一族の住んでいた地は、常福寺へ集まる霊魂の通り道だったのだろうか。

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