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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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琴畑と妙見(其の三)

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先に、菊池輝雄「山深き遠野の里の物語せよ」において、琴畑の不動堂を「この堂は加賀を向いているという。」との記述を紹介した。加賀とは加賀国であり、現在の石川県。恐らく磁石上では「西南」を向いているとなるのだろう。しかし実際に磁石で不動堂の方角を見ると、北を向いているのを確認できる。北を向いているというのは恐らく、早池峯を意識しての事だろう。ただ菊池輝雄氏の「加賀を向いている。」だが、その加賀国、現在の石川県には有名な白山がある。実は遠野の北に聳える早池峯は、白山を模したものでもある。そういう意味では「加賀を向く」=「白山を向く」=「早池峯を向く」という構図が成り立つのではあるが、果してその真意はいかに。
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土淵村字栃内の山奥、琴畑といふ部落の入り口に、地蔵端といふ山があって、昔からそこに地蔵の堂が立って居た。此村の大向といふ家の先祖の狩人が、或る日山に入って一匹の獲物も無くて帰りがけに、斯んな地蔵がおらの村に居るからだと謂って、鉄砲で撃って地蔵の片足を跛にした。其時から地蔵は京都に飛んで行って、今でも京都の何とかいふ寺に居る。

一度村の者が伊勢参宮の序に、此寺へ尋ねて行って、其地蔵様に行逢って戻りたいと言ふと、大きな足音をさせて聴かせたといふ話もある。今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。

                         「遠野物語拾遺49」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーところで、琴畑の入り口の地蔵端であるが、「遠野物語拾遺49」に記されているように「今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。」とある。これからわかるように、琴畑部落は地蔵端と不動堂、両方の入り口のお堂が北を向いている。地蔵端に関しては、地元の古老によれば、早池峯の遥拝所でもあったとされ、不動堂は早池峯大神を祀っていた。つまり、琴畑部落はどちらの入り口も北に聳える早池峯を意識したものとなっている。入口とは村境であり、遠野であれば大抵、石碑が並んでいる位置に当る。
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琴畑部落内には、川沿いに一基の庚申塔が建っているのが目に付くくらいだ。他にも側にもう一基あったが、金毘羅ではなかった。この画像の庚申塔も、琴畑川を見守るように建っている。庚申塔は遠野にかなりの数があるのだが、その多くが猿ヶ石川沿いに建っているのが目に付く。これは恐らく、諸説様々な猿ヶ石川という名称そのものが本来、庚申を意識してのものではないかと考えている。
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遠野の早池峯信仰と遠野七観音信仰には、慈覚大師円仁の関りが語られる。慈覚大師が遠野に来たかどうかよりも、慈覚大師が属する天台宗が布教に遠野に寄ったという事だけは確かだろう。その慈覚大師円仁「入唐求法巡礼行記」巻第一の承和五年(838年)七月二日の条に、こう記されている。
「漂流するの間、風は強くおおなみは猛る。船のまさに沈まんとするを怕れ、いかりを捨て物を投げうちて。口ずから観音・妙見を称えたてまつりて、こころより活路を求めたるに、猛風止みぬ」
この記述から、観音と妙見が海上での命の救済する神仏として扱われている。ここでの観音は、十一面観音だろう。そして妙見は、早池峯の神でもある。早池峯大神の神名は「瀬織津比咩」と言い、伊勢神宮荒祭宮に松煮れる天照大神荒魂とされる。吉野裕子「隠された神々」によれば、早池峯大神を祀る荒祭宮とは、「太一」を象徴する宮であるとしている。つまり伊勢神宮そのものが、妙見神を重ねて信仰している神社という事になる。
早池峯の妙見信仰は、いずれ「妙見と瀬織津比咩」というタイトルで書く予定なので、ここではこれ以上は突き進めずに、琴畑へと戻ろう。

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