

一度村の者が伊勢参宮の序に、此寺へ尋ねて行って、其地蔵様に行逢って戻りたいと言ふと、大きな足音をさせて聴かせたといふ話もある。今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。
「遠野物語拾遺49」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーところで、琴畑の入り口の地蔵端であるが、「遠野物語拾遺49」に記されているように「今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。」とある。これからわかるように、琴畑部落は地蔵端と不動堂、両方の入り口のお堂が北を向いている。地蔵端に関しては、地元の古老によれば、早池峯の遥拝所でもあったとされ、不動堂は早池峯大神を祀っていた。つまり、琴畑部落はどちらの入り口も北に聳える早池峯を意識したものとなっている。入口とは村境であり、遠野であれば大抵、石碑が並んでいる位置に当る。


「漂流するの間、風は強くおおなみは猛る。船のまさに沈まんとするを怕れ、いかりを捨て物を投げうちて。口ずから観音・妙見を称えたてまつりて、こころより活路を求めたるに、猛風止みぬ」
この記述から、観音と妙見が海上での命の救済する神仏として扱われている。ここでの観音は、十一面観音だろう。そして妙見は、早池峯の神でもある。早池峯大神の神名は「瀬織津比咩」と言い、伊勢神宮荒祭宮に松煮れる天照大神荒魂とされる。吉野裕子「隠された神々」によれば、早池峯大神を祀る荒祭宮とは、「太一」を象徴する宮であるとしている。つまり伊勢神宮そのものが、妙見神を重ねて信仰している神社という事になる。
早池峯の妙見信仰は、いずれ「妙見と瀬織津比咩」というタイトルで書く予定なので、ここではこれ以上は突き進めずに、琴畑へと戻ろう。