
以前、「ヤカン転がし」の記事から、このケッコロガシ沢を調べている時に、来内の古老からダムを渡った突き当りの山のどこかに慰霊碑があると言われ探したが、その時は見つける事が出来なかった。ケッコロガシ沢という名称は、海南書房/菊池幹編「遠野路」という、昭和50年に発行された遠野の観光ガイドブックの「刑場跡の話」で紹介されていてわかった事だった。その処刑方法は、罪人を崖の上に立たせ後ろから刀で斬り"蹴り転がし"たという。蹴り落した崖下から這い上がり命が助かれば許して蕨峠より伊達藩に追放したとされる。その遠野の処刑方法が、「ヤカン転がし」という名で九州にも伝わっていたのには驚いた。
ところで、上に記した処刑方法に付け加えれば、その当時の来内村の伊豆神社の宮司と村長主導によって夜間に行われた神事に近いものであったよう。つまり単なる処刑ではなく、神が関わった所業であったようである。

ところが、田中貴子「あやかし考(不思議の中世へ)」の中に「けころす考(神による殺人方法の一考察)」というものがあった。さこには先の「北野天神縁起」も含めて、「日本書紀」「今昔物語」etcの参考文献をあげて考察している。要約すれば、「けころす」とは「神の祟り」に等しいものであるよう。田中貴子は「けころす」を要約すると「神などの超自然的存在が祟りをなしたり、悪事を働いた人間を懲罰するときに行う行為を表すものだった。」と。さらに「雷神にけころされた物や人は強い力で裂かれたような傷跡を残していた。落雷によるこのような被害は、雷神が文字通り足で蹴り殺したためであると考えられた結果、"けころす"という言葉が用いられるようになったと思われる。」と述べている。更にその「けころす神」とはどうも、雷神や龍神に深く関わって流布してきたものとしている。
ここで思い出すのは、このケッコロガシ沢と呼ばれる処刑所に関わった宮司が伊豆神社であったという事。来内の伊豆神社の祭神は、早池峯大神でもある瀬織津比咩である水神で、龍神に属する女神である。雷神・竜神の祟りである「けころす」が遠野の地に辿り着けば「けっころす」という転訛になるのは当然の事である。ケッコロガシ沢に蹴り落す前に刀で斬る所為とは恐らく、田中貴子氏が述べているように雷神の力によって強い力で裂かれた傷跡を意図したものであったかもしれない。つまり、この来内ダムで行われた処刑とは、龍神であり雷神でもある早池峯大神による神の祟りを具現化したものであったという事だろう。生き残れば無罪放免としたというのも、神の恩赦という事ではなかったか。