$ 0 0 「上郷聞書(地名編)」によれば、来内小字三石は昔此の地に豆を撒いたところ、その中の一本が鎌で刈り取る事の出来ない大木になり、鋸で引き倒したとの事。それより豆穀三石を得、またその豆の茎で太鼓の胴を作ったと伝わる。江戸時代、米を計る単位に石が使用された。一石が100升で、重さが150キロ。それが三石分の豆という事だから、重さが450キロにもなる300升もの豆が獲れたという事。つまり簡単に言えば、作物が巨大化した伝説の地という事になろうか。