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「遠野町古蹟残映」によれば、遠野町鍋倉山城址の北東崖中腹にありと記されている。吉田政吉「新・遠野物語」に載っている地図を確認すると、現在の遠野市立博物館の辺りに位置している。
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石の鳥居をくぐると、奥の右側に鉄製の階段があるのだが腐食している為か、危険なので立ち入り禁止となっている。この博物館裏の道は表参道であり、別に裏参道もあるので裏参道から行く方法もある。この稲荷神社の個人的な記憶というか子供の頃の記憶は、もっと上にあったような気がしていた。実は、以前もこの稲荷を探したことがあるのだが、見つける事が出来なかった。実は鍋倉山の中腹だと勝手に思っていた為、鍋倉山の石段を登ってから左側の裏道ばかり探していた。それで見つからなかったので、勝手にどこかに移転したものと思っていた。
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この下屋稲荷神社を撮影したのは午後の2時半くらいで、画像よりも実際はもっと薄暗く見える。
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祭神は、倉稲魂命。御神体は無しとされるが、沢山の稲荷狐の人形が置かれている。今から300年近く前に遠野南部氏が京都より勧請し氏神にしたという記録がある。ただ京都となれば伏見稲荷かとなるが、そこまで詳しい記録は無い様だ。5月13日が祭日になっているようだが、今は行われていないようだ。この稲荷神社の表参道側は、かなり古くから立ち入り禁止となっている為、なんというか空気が淀んでいるというか、妙な圧を感じる境内の雰囲気になっている。
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境内には、駒形大神の石碑があった。
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また、人から聞いた情報によれば大工町にあった高善稲荷が合祀されたという話だが、境内には高橋善太郎寄贈の石の台があったのは、高善稲荷の合祀と関係あるものなのだろうか?
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また本殿の下に小さな赤い鳥居があり、岩穴があった。その間に鉄製の檻があるのだが、ここの詳細は別記事に書く事にしようと思う。