
遠野の町に山々の事に明るき人あり。もとは南部男爵家の鷹匠なり。町の人綽名して鳥御前と云ふ。早池峯、六角牛の木や石や、すべて其形状と在所とを知れり。年取りて後茸採りにとて一人の連と共に出でたり。この連の男と云ふは水練の名人にて、藁と槌とを持ちて水の中に入り、草履を作りて出て来ると云ふ評判の人なり。さて遠野の町と猿ヶ石川の隔つる向山と云ふ山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人は又少し山を登りしに、恰も秋の空の日影、西の山の端より四五間ばかりなる時刻なり。ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢ひたり。彼等は鳥御前の近づくを見て、手を拡げて押戻すやうなる手つきを為し制止したけれども、それにも構はず行きたるに女は男の胸に縋るやうにしたり。事のさまより真の人間にてはあるまじと思ひながら、鳥御前はひやうきんな人なれば戯れて遺らんとて腰なる切刃を抜き、打ちかゝるやうにしたれば、その色赭き男は足を挙げて蹴たるかと思ひしが、忽ちに前後を知らず。連なる男は之を探しまはりて谷底に気絶してあるを見付け、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かゝる事は今までに更になきことなり。おのれは此為に死ぬかも知れず、外の者には誰にも言ふなと語り、三日程の間病みて身まかりたり。家の者あまりに其死にやうの不思議なればとて、山臥のケンコウ院と云ふに相談せしに、其答には、山の神たちの遊べる所を邪魔したる故、その祟をうけて死したるなりと言へり。此人は伊能先生なども知合なりき。今より十余年前の事なり。
「遠野物語91」

遠野郷には山神塔が多くあり、その山神塔の建っている場所は、かって山神に遭い、または山神の祟りを受けた場所だと云われる。「遠野物語91」においても、やはり山神の祟りに遭って死んだ鳥御前の話が伝わる為なのか、今でもこの地域の人達は、この続石のを潜って、山神の祠に参詣していると云う。
一般的に山神は女神であるから女人禁制となっている山は多いが、この地域には女だけの山神の祭があるのは、この「遠野物語91」には男女の山神が登場している為に、男女を祀っている為だろうか。

この続石は弁慶が載せたという伝承の他に、天狗が載せたという伝承も伝わっている。「遠野物語91」においてケンコウ院に相談しているが、これは華厳院であり、自分の父親の友人であった館林氏の家となる。羽黒修験の山伏の家筋である事から、弁慶では無く、本来は天狗が正しいのであったろう。羽黒修験は関東から東北にかけて支配下にしていたようである。それだけ絶大な影響を与えた羽黒修験の力は、天狗の力としても伝わったものであろう。

善明寺に伝わる天狗の牙の伝承も、他地域では鬼になるであろうものが天狗になって近隣を荒し回ったというのも、天狗の力がそれだけ凄かった証明にもなろうか。そして、その天狗である羽黒修験が祀るのは山神である。天狗の赤ら顔は、その山神に影響されたものだろうか?ただ一般的には、猿田彦の影響を受けて、天狗象が確立されたとある。その猿田彦は秦氏の信仰する神でもあった。この前、秦氏がユダヤ教と繋がる話をツラッと書いたが、そこに繋がるのは、猿と石の魔女の結び付きによって生まれた神話を持つ、チベット系の羌族である。その羌族は、男根を象った石と、女陰を象った石とを祀り信仰していた。以前、続石は潜る事の出来る石であるから、胎内潜りではないかとも考えたが、見る方向によっては男根であるコンセイサマにも近似している。しかし、こうして考えてみると陰と陽を兼ね備えているのが続石でもあるのではないかと思えてしまう。

この笠岩が載った石だけを見ると、コンセイサマと言っても良いかもしれない。

しかし並んで見ると、鳥居の様でもあり、下を潜る事から胎内潜りにも通じる。ここでもう一度「遠野物語91」を読み返してみると、一つの記述が気になってしまう。「女は男の胸に縋るやうにしたり。」この山神の女が、山神の男に縋るようにする姿が、何故かこの続石の姿とダブって見えてしまうのだ。この男女が寄り添う姿は、猿田彦と鈿女の二人が道祖神として祀られている姿を思い出してしまう。

「遠野物語拾遺9」には、二つ岩山の夫婦岩が紹介されているが、これは間を割って入ると祟りを為すと云われている。ある意味「遠野物語91」においての鳥御前が男女の山神の邪魔をして祟られた話にも近い。ただ鳥御前は、この続石の少し上の方で男女の山神に遭っているのだが、他の話では、この続石の場所で遭ったとも伝えられる。そして、この山の一帯で山神を祀る社は、この続石の背後にある社だけという事は、山神の祟りに鳥御前が遭ってから建てられたのが、この山神の社である可能性はある。
そういう意味合いから、山神を石と仮定した場合、まさに鳥御前はこの続石の間を邪魔した為に、山神の祟りに遭ったと考える事も出来る。それから男女の山神は正式に、この続石の場所で祀られ、今ではこの続石の間を通って参詣を許しているというのは、この続石の地が、山神と人との境界線に建てられたものであるからかもしれない。そしてそれは道祖神という境界神としての猿田彦と鈿女に対応するのではなかろうか?実際、この続石の上の方は、やはり巨石がゴロゴロしており、この続石を造る為の石が、そこから運ばれたのではなかろうかと言われる、続石の産地でもあり、聖地でもある。つまり続石と山神の社は、この山神の聖地と人の境界に立っているものと考えていいのではなかろうか。そして、それを侵すと祟りを為すであろうと。