
オシラサマにとって重要なアイテムである桑の木と、その桑(クワ)の語源を調べてみた。まず先に、アイヌ語で"クワ"は"墓標"と"杖"の意味があるとわかった。それを裏付けるかのように、オシラサマ譚の元になったのではと云われる「捜神記」には、庭の大木の枝に、蚕と化していた馬と娘が発見され、それからその大木を「桑(クワ)」と名付けたとあり、桑(ソウ)は喪(ソウ)の意味であると記されている。「喪(ソウ)」とは死者を葬る儀式であり、死者に対する哀悼の礼である。また、有名なシェークスピア「ロミオとジュリエット」の原型であるギリシア神話「ピュラモスとティスベ」では、男女の悲恋の死を見届けた樹木が桑の木であり、その飛び散り流れた男女の血によって桑の実が赤黒くなったと、桑の木にはどこか死の匂いが纏わりついている。また、桑の木ではないとされるが古代中国の「山海経」には、10の太陽の昇る伝説の巨木である扶桑の話がある。また紀元前である戦国時代の「楚辞」には、10個の太陽が現れ灼熱地獄となった為に、9個の太陽を射落とした話が紹介されているが、これは太陽を射殺す三重のゲーター祭りを思い出してしまう。やはり、死は纏わりつく。

ところで、「桑」という漢字を考えてみた。木の上に又が三つあるのが桑。篆書体で見ると、上の画像が桑という漢字となる。又の部分が、三本爪の鍬のようになっている。もしかして三本爪の鍬の形は、この篆書体から来ているのか?と思ってしまう。


ただこの北欧神話も、やはりギリシア神話の影響を受けているようだ。ポセイドンに対しての生贄として馬を捧げる信仰があるのだが、水神に対する信仰には、馬が重要視される。また藤縄謙三「ギリシア神話の世界観(ポセイドン神の成立)」によれば、ポセイドンの名前は「大地」と「夫」の結合語で「地母神の夫」という名前であると云う。杖を大地に突き刺すのが大地との交流であり、聖婚を意味する様。それはつまり、水源を示すものであり、地母神の場所を示すものと考えて良いのではないか。そしてそのギリシア神話さえ、ヘシオドスは古代のオリエントの神話の影響を受けたと指摘している。当然、様々な経由から古代中国へと伝わり影響を受けたものと考えても良いのではなかろうか。ともかく右手の象形文字は、古代の樹木信仰の流れを汲むものであり、それが日本に流れ着いたものと思える。そしてアイヌ語でクワは杖や墓標を意味するのだが、杖そのものは槍との違いは無い。杖に刃が括り付けられてあれば、それは槍になるからだ。その信仰の根源はやはり樹木であると思われる。そして田村浩「おしら神の考察」によれば、三叉もしくは四叉の桑の木からオシラサマを彫るとされ、また「九戸郡誌」には、"二又の桑の木をオシラサマとして祀る"とある。この二又三叉は、樹木の呪力を意識してのものであろう。猫が年老いると尻尾が二又にわかれ、猫又という妖怪になるのという構造は恐らく、この二又の樹木の呪力からきているものだろう。
「古事記」において、八上姫と結婚した大国主は、八上姫を因幡から出雲へ連れてきたが、本妻の須世理姫を恐れて、八上姫が生んだ子供を木の股に刺し挟み因幡に返してしまった。それからその子供の名前を木俣神、またの名を御井神といった…という話。この木俣神は、伯耆国の阿陀萱神社で阿陀萱奴志多喜妓比売命という神名で祀られている。その由緒は、下記の通りとなる。多喜妓比売命は大己貴命の御子なり、母は八迦美姫命と申す。神代の昔、出雲国直会の里にて誕生あり。八迦美姫命、因幡へ帰らんと大己貴命と共に歩行し給ふ時に、御子多喜妓比売命を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟て長く置き給ひしときに、我は木俣神なりと申給ひて宝石山に鎮座し給へり。また、同地に鎮座する御井神社の祭神も木俣神であり、その由緒に「木俣の神、又は御井の神と申し上げ、安産守護、水神の祖として広く信仰をあつめている。」としている。水神の祖とはどういう事なのかだが、安産守護に関しては二股は女性の股を意図としている事からのものだろう。樹木は地上と地下の境界であり、地下である根の国の入口として認識されていた。遠野の東禅寺跡に、早池峰権現が無尽和尚の杖をとって地を突いたところ、水が湧きだした事から「杖(またふり)の井」、または開慶水と伝えられる。開慶水は別に早池峯山頂にもあるのだが、早池峯権現がこの東禅寺にも開慶水を与えたという話である。ところで「杖(またふり)の井」とは、二股の木を地面に突き刺して涌き出た泉の事を云う。どうやら二股の部分が地との交流を促す呪力があると信じられていたようだ。二股の杖は西洋では占杖といい、この杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたという。古今東西、二股の杖は、地下との交流・交信の手段のアイテムであると認識されているのは興味深い事だと思う。柳田國男は、二股の木の股の空洞の部分が水を湛えているものを、天然の井戸であろうとしている。木俣神の別名が、御井神であるのは必然であった。
溝口睦子「ヤクシーと木俣神」の見解によれば、二股の木は水に繋がる豊穣神であろうとしている。二股の空洞に溜まる水が地下と通じている認識は、空洞に溜まった水が地下の黄泉国へと滾り落ちる空間があるという認識で、黄泉国の入り口と捉えられていたのだろう。黄泉国は字の如く、泉の湧く国である。しかし二又の木が黄泉国の入り口という認識でありながら、二又の桑の木をオシラサマとして祀ってきたのは、黄泉国との交信というよりも、水による穢祓いを意図してのものではなかろうか。オシラサマの衣の着せ替えでは無く、衣の着重ねをし続ける行為は穢れを纏う行為である。一身に穢れを纏い祓う事の出来るオシラサマには、水による穢祓いの力がある為だと理解出来る。また「オシラサマ譚」で桑の木に白馬を吊るすのは、ポセイドンへの信仰と同じように水神に対する贄であると思われる。そういう意味では、二又の桑の木から彫られた娘と馬という形は、水神との簡易的な交信のアイテムであり、呪術を行う魔法の杖でもあるのだろう。先に書き記したように、二又の杖は西洋では占杖といい、その杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたと似たような話が、「遠野物語拾遺83」に記されている。「狩の門出には、おしらさまを手にし持ちて拝むべし。その向きたる方角必ず獲物あり。口伝」とあるように、獲物の占杖としてもオシラサマが認識されているのは、西洋での二又の杖の信仰が日本に流れ着いて定着したものと思えてしまう。次は、その桑の木の信仰と民俗の流れを書こうと思う。