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春になって目に付くのは、福寿草、蕗の薹、そして水芭蕉だと思う。共通するのは、どれにも毒があるという事。なので或る意味、毒の芽生える春の様な気もする。ところで、この中での蕗の薹は、遠野地方ではバッケと呼ぶ。この呼称は、どうやら東北全体にも広がるようだ。そのバッケの語源は定かではなく、仏教用語やらアイヌ語などから、様々な説があるようだ。その中で自分は、「化ける」を支持する。まず自分は、「バッケ」の「ケ」に着目する。
「ケ」は、気枯れ(けがれ)、物の怪(もののけ)など、かなり古くから使われている。また物の怪は「モッケ」とも読むことからも、バッケの語源を意識してしまう。その「気(ケ)」そのものは「生命力」を意味し、また「気配」も意味する。バッケである蕗の薹が雪をかき分け芽生えるのは、春の"気配"であり、春の"生命力"であると感じるのは、もう説明する必要のない事であろう。
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さて、それでは何故バッケが化けるから来たのかと考えるのは、蕗とバッケである蕗の薹は、同じ地下茎で繋がっている。見た目は違う、蕗とバッケが実は、同じ地下茎で繋がる兄弟のようなものだが、意識を変換すれば、蕗が化けたのがバッケだと思われたのではなかろうか。いや、蕗よりも先に芽生えるのがバッケであるから、バッケとは蕗に化ける「春の気」だと思える。ゆえに蕗の薹は「春の気が化ける」事から、別名「バッケ」と呼ばれたのではないかと思うのだ。