
竹原春泉「絵本百物語 -桃山人夜話-」
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風邪は「邪な風」であり、忌み嫌うべき存在だろう。おおまかに風邪と表現しても、それを拗らせれば肺炎となり、死に直結する可能性がある事から「風邪は万病の元」と昔から云われ、警戒されていた。その風邪も、江戸時代あたりでは、神や妖怪の仕業とも考えられていたようだ。ただその風邪にもまた、インフルエンザと呼ばれるいくつかのウイルスによるものだと分かったのは、そんなに昔の話ではない。現在、中国から飛来?したコロナウィルス問題が、世間を騒がせている。自分自身も、肺気腫にかかっているので、感染したら即死亡確定してしまいそう。3月には私用で東京に行かなきゃならんので、戦々恐々としているのが現状だ。
ところで上記の「黄の気」というものは、日本においてはしっくりこない表現かと思ったが、解説には、「四月の春の嵐に中国大陸の黄土地帯より到来する砂塵"黄砂"現象を指し、雨天の前兆、または風による疾病発生を暗示する。」更に「黄土は、死後の地黄泉の土を意味し、死への黄泉路を暗喩する。」と記されている。確かに黄泉には"黄"が入っていた。思い出すのはドストエフスキーの作品でも、病気の顔色を黄色で示す場合が多い。黄色は明るいイメージの色であると共に、それがくすむと病的な色合いに変わる印象を持たれるようだ。
山陰地方や九州では北西の強力な風を「アナシorアナジ」と称する。この北西風であるアナジは、死者の棲む異界から吹いてくる不吉なもので、人の魂を奪うと考えられたようだ。やはり、黄泉国と同じく死の匂いが漂う。語源の発祥は、古代の製鉄業者を穴師からきている。調べると、この「アナジ」は東北から中部の日本海側では「霊風(タマカゼ)」と称し、これには越の国に拡がるヤサブロバサの伝承に組み込まれる事になるほどの禍々しい風となっているようだ。タタラでは精練の為に大量の風を炉に送り込み、内部で激しく燃える地獄の様な業火と、それを生み出す強風のイメージが結びついたようだ。また西日本では海女が海から這い出た時に口から吐き出す風を「常世の風」と称する事からも、西日本における北西の風は、やはり黄泉国と結びつくか。
風といえば「大祓祝詞」にも登場する「科戸の風」だが、「日本書紀纂疏」には「シ」は「息」・「風」であり、「ナ」は「長」とし、「科戸(シナト)」は「息長」であるとされていた。思い起こしてみると、神功皇后である息長帯比売命は故郷である近江の国で信仰していたのは、級長津彦命と級長津姫命であった。つまり神功皇后が、風の神の巫女でもあったのかもしれない。ところで科戸の風を更に調べると、本来は「不周風(シナトノカゼ)」であるとし、それは北西の風が「不周風」であるとされているようだ。科戸の風の「戸」は戸口などを意味しているのはわかったが、それは月が隠れる北西の戸口の意であった。息長帯比売命の「帯(タラシ)」は月が満ちた意味を持つものであるから、月の沈む北西は同時に太陽の沈む方向でもある。古代人は、太陽が沈む事を「死ぬ」と意識していた事から、東から生まれた太陽(月)は、西に死ぬと信じていたようだ。つまり元々西という方角…ここでは北西だが、どうも死の国と結びつくようだ。考えてみると「大祓祝詞」においても、罪や穢れを根の国・底の国に運ぼうという流れが記されているのだから、科戸の風にも死の匂いがする。
ところで邪気は、ものの隙間を窺っていると記されているが、隙間というものには、いろいろなモノが侵入するようだ。この場合は、邪気という風の神である。風の邪気と考えると、真っ先に風邪を思い出してしまう。風邪は「かぜ」と読むが、東洋医学では「風邪(ふうじゃ)」と読むのが一般的となっている。これは上記の「天地の間の気を「風(ふう)」という。」ものに対応している。天地の間もまた隙間を意図しているのだが、家の隙間風は、殊に寒く感じてしまう。逆に思えば、風か隙間を見つけてくれるという事にもなるか。この隙間風は、奄美大島では""好魔風(すきまかぜ)"に行き会うと、病気になるとされている。
九州の宮崎では、風は猫が起こすのだと伝わっている。この猫が風を起こすというものは、新潟にも伝わっている。これは恐らく、古代中国から伝わった「虎は風を司る。」から来ているのだろう。帆船が主流であった昔、風が無ければ進まない帆船の為に、よく虎舞が奉納されたのは、風を求めるからであった。その虎と同じと思われた猫(同じネコ科)が風を起こすという俗信は、発生して当然の事ではある。ともかく風は、台風のような大風で、その強風により物理的に人間を死に至らしめる場合と、風邪のように人間の体内に侵入し、内部から死に至らしめる場合があるが、それらすべてが風の仕業とされ、悪風と呼ばれた。

「山海経」には、「蜚」という化け物が紹介されている。「蜚が水を行けは水が涸れ、草を行けば草が枯れる。これが現れると天下に疫病流行る。」と記されている。この蜚は、蜚蠊と同じイナゴを意味する。ただ「古代風神崇拝」には蜚蠊に関して「飛廉乃是古代楚人的風神」とも記されている。これは楚国がこの蜚蠊を操ったという意味ではなく、秦国に相対する楚国を蜚蠊に見立てたという意味であろうか。とにもかくにも、厄災を運ぶ風神は、イナゴと合体し、更なる厄災を蔓延させるようだ。つまり、中国で騒がれているコロナウイルスは、イナゴの襲来を受けて、更なる被害が拡大する可能性が高いのだろう。どうも疫病とイナゴの群れは、古代から問題視されていたという事らしい。