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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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鷹鳥屋

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戦国時代から安土桃山時代にかけて織田信長について書かれた「信長公記」という書に"遠野孫次郎が織田信長に白鷹を献上した"と記されている。遠野孫次郎は、阿曽沼氏が遠野氏とも称されていた事から、遠野孫次郎は阿曽沼氏だとされてきた。しかし、学者である大川善男氏によって、それは否定された。真意は定かでは無いが、小友町の鷹鳥屋が白鷹を飼育していた地である事から、織田信長に送った白鷹は鷹鳥屋産であろうとなっていたようだ。
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何となくだが、信長に白鷹を献上したので、鷹鳥屋という地名が付いたのかと思っていたが、どうもそれ以前には鷹鳥屋の地名はあったようだ。"お箱石"と呼ばれる巨石がある。この巨石の場が、鷹を訓練した地と云われている。「小友探訪」には「当時その白鷹を飼育せし地なるを以て、鷹鳥屋の地名出る。」と記されている事から信長に献上した後に"鷹鳥屋"という地名が付いた様にも思えるが、それ以前に阿曽沼氏の家臣による鷹鳥屋の館も築かれている事から、既に地名はあったものと思われる。
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ところで"鷹雉(たかとり)"と呼ばれる鳥がいる。実はこの鷹雉、"山鳥の古名"であり、現在遠野市を象徴する鳥として認定されている。鷹は「たか」であり、「たかとり」とは呼ばない。恐らく「たかとりや」と呼ばれる地名があり、後から信長に献上した鷹の話にちなんで鷹鳥屋という漢字があてられたものと察する。鷹鳥屋の地形は周囲を山に囲まれ、谷の合間の集落の様になっている。恐らく本来は「鷹雉の棲む谷」から「鷹雉谷(たかとりや)」と呼ばれていたものが、「信長公記」の一件から「鷹鳥屋」に変更されたのではと考えてしまう。この地には鷹も、かなり生息していただろうが、それよりも鷹の"獲物としての山鳥"が多く生息していた為の「鷹雉谷(たかとりや)」では無かったか。

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